3年生のゼミの打ち上げだった。年内に飲み会をやることが多く、授業が全部終わったこの時期にやるのは珍しい。日本酒党が多いのも結構なことである。熱燗を酌み交わしながら、4時間ほどかけてこの日参加した全員と語りあった。
渡部ゼミだと思っていたら、学生は“わたじゅん”ゼミと呼んでいる。「え、知らなかったんですか。1年生のときから“わたじゅん”先生でしたよ」と聞いて、ほうと思った。そういえば、ムードメーカーの稲毛里佳子さんが「わたじゅん先生!」といって研究室を訪ねてきていたことを思い出した。うかつである。
ゼミのテーマは「教育における身体表現の可能性」だ。普通教室と多目的ホールを行き来する実験的な性格のゼミである。ウォーミングアップ・アクティビティやドラマ技法を年間で60種類ほど経験する
もともと、公の場でのコミュニケーションに苦手意識をもっている学生が多く、彼らにとっては学期初めのスピーチが緊張ものらしい。まずは「表現者としての自分」がどう変わっていくのか、自分の内面の変化とお互いの関係性の変化に目をむけて、それを分析・記録していくよう促している。
経過をみていると、いくつか大きなうねりがある。黄金週間明けになると周囲に対する警戒心がとけて、スーッと自分を出せるようになるし、学期末までには、お互いの表現や個性を楽しむ余裕もでてくる。変化を実感するのは就活シーズンになってからで、面接を恐れなくなった自分を発見して驚くことになる。
寄せ書きでも、「最初は楽しく参加しているだけでしたが、次第にこの授業の教育的意義というものを考えられるようになり、自分で成長したことを実感しています」という具合に、自分がどう成長したのか、口々に語っている。
帰りの電車で、村岡宗一郎くんが「変わらなきゃと思っていた自分と、ゼミの履修がぴったり重なった感じがします」と話してくれたが、たしかに内発的動機なしに、そうそう人間は変われるものではない。どうもこのあたりにゼミの盛り上がりのポイントの一つがありそうに思う。