月別アーカイブ: 11月 2013

第13回高校生プレゼンフェスタ

主催者挨拶は奈良教育大学の渋谷真樹先生

主催者挨拶は奈良教育大学の渋谷真樹先生

はじめて出会った高校生たちが、その場でチームを組んで演劇的プレゼンテーションに挑戦する「高校生プレゼンフェスタ」が11月23日(土)に跡見学園高校であった。今回は、8つの高校から48人がエントリーし、創造的な表現活動を楽しんだ。スタッフ、参観者も30人いるから、まさに賑やかなお祭である。

お題は「海外の高校生に伝えたい日本!」。このテーマが発表されるや、会場に「オーッ!」というどよめきが起こった。2時間のリサーチ・タイムで5分の発表。8チーム(各6人)が、メイン会場の会議室と、メディアルーム、図書室、小アリーナを自由に行き来して準備を進める。

高校生たちが取り上げた素材は、日本人の親切心や思いやり、伝統文化、サブカルチャー、高校生のスクールライフとさまざま。発表形式も、スキットあり、ダンス・パフォーマンスありと、前回よりさらに多彩になった。

日本アニメの市場占有率がフランスで8割をこすと数字を示すチーム、アニメのキャラクターをお面にしたてて登場するチームなど、ネットで情報にアクセスし、それを巧みに組み込んで発表をつくっている。

ポーズ送りのデモンストレーション

ポーズ送りのデモンストレーション

恋愛観を追究した「ヨッシー」チームは、外国人高校生カップルと日本人高校生カップルの交際ぶりの違いを、振り分けで演じてみせた。解説者のコメントつきである。バレンタインデーからホワイトデーまで、若者たちの行動を時間的推移にそって演じるという巧みな構成で会場を沸かせた。

ベスト・プレゼン賞をとった「Japan Warmth」チームは、日本を紹介するTV番組という設定。スタジオと浅草、京都の街頭をつなぎ、こちらも振り分けで日本人の行動パターンを実況中継する。京都では「ゴミ拾いマイスター」なるプロに遭遇して、優雅で素早い身のこなしで通りをきれいにする様子を見せる。なんだかこんな人が本当にいそうな気がするから面白い。

今回は、異文化間教育学会の研究プロジェクトということを配慮して、帰国生はもちろん、留学生や外国人高校生の参加にも力をいれた。これが良かった。アメリカ、ドイツ、フィンランド、インド、タイ、韓国、中国など、豊かなバックグラウンドをもつ高校生たちの学びの場が生まれたからだ。

記念写真 先生たちの顔にも充実感が

記念写真 先生たちの顔にも充実感が

運営委員会の先生たちが「大阪弁を共通語にすべし!」というディベート・ドラマをしたり、「もったいない」パフォーマンスを披露したりと、身体をはってデモンストレーションに取り組んだのも効果的だった。これだけやられたら、高校生も奮起せずにはいられない。

本格的な振り返りはこれからだが、プレゼンフェスタは、工夫次第で色んなバリエーションを生む可能性を秘めていることが実感できた。これからどう育っていくのか、楽しみである。

秋の庭

春の山桜がこうなった

春の山桜がこうなった

気がついたら書斎からみえる八国山がほどよく黄葉している。窓外にみえるわが家のドウダンツツジも、いつもの年より鮮やかに紅葉した気がする。それで思い立って、ドウダンのまわりにある金木犀とサンゴジュの剪定をすることにした。

庭に下りてみると、シュウメイギクが咲き、千両や万両の実もほんのり赤くなっている。すっかり秋の庭になっていた。こう忙しいと、どうしても手入れが滞りがちになる。この家に引っ越して四半世紀たつが、当時の方が時間もあったし、ずっと熱心だった。

もともと西武不動産で植えた樹が庭に5、6本あったのだが、父親と妹の義父がどっさり若木を運んでくれたので、すっかり配置をやり直した。二人は大の庭好きである。だが、どうも住宅団地の庭の広さを見誤っていた気がする。後日、義父の幸次郎が庭を一瞥して「まるで幼稚園児の遠足だな」といったので、その描写の適切さに思わずふきだした。

手入れをしようと張り切っているころには、樹がちっとも育たない。ところが10年たってこちらの熱が冷めたころ、まるでそれを見計らったかのように、勢いよく伸びだした。木々が庭にしっかり根付いた証拠である。折あしく仕事も忙しくなったから、こんどは手入れが追いつかない。

地面に百日紅の影が映っている

地面に百日紅の影が映っている

茫々たる山野にあるごとく枝が伸び、重なり合って繁茂する。こうなると切枝や葉っぱの始末が大変である。生ごみの日にビニール袋にいれる程度ではとうてい間に合わないから、車に積みこんで、直接クリーンセンターに持ち込む仕儀になってしまった。

植物の成長というのは、凄いものである。日当たりのいい道路側の紅梅などは、気がつくと近所のランドマークになっていた。ただ、脚立の再上段に乗って高枝切り鋏をのばしてもてっぺんに届かないから、何年も2階のベランダ越しに剪定していたものの、とうとう諦めて、チェーンソーで太い枝を何本か刈り込んだ。

日の傾くのがとても早い 右手は白梅

日の傾くのがとても早い 右手は白梅

地面の方は鄙びた雑草園の風情になった。以前、妻の友人が遊びにきたとき、見かねて「私が芝生を刈ってあげようか」といったらしい。ところがよくしたもので、手をかけないでいるうちに、苔やら雑草やらがほどよく侵食してきて芝生がなくなり、限りなく自然にちかい苔庭になった。負け惜しみに聞こえるだろうが、わたしはいまの方がすきである。

ほんの数時間の庭仕事だが、それでもリフレッシュはできる。明日は「高校生プレゼンフェスタ」の本番である。遠方からの参観者もあって、賑やかなお祭りになることだろう。

冒険者たち

高校生プレゼンフェスタのリハーサル

高校生プレゼンフェスタのリハーサル

獲得研の来年の新刊『学びの全身化へ―ドラマ技法研究の最前線』(明石書店)の執筆が佳境に入っている。16人の初稿が出そろったことで、ようやく全体像が見えてきたところだ。

本の内容は、この6月にあった異文化間教育学会34回大会の「プレセミナー」と「公開シンポジウム」を素材にしている。前者は、吉田真理子先生(津田塾大学)、武田富美子先生(立命館大学)のコンビで、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』からオリジナルのドラマワークをつくった実践が中心である。これが滅法面白い。ミシシッピ川を一緒に筏で下ってきた逃亡奴隷のジムを、白人の少年ハックが密告するかどうか、その決断を迫られる場面を山場にもってきている。だから参加者は、ドラマの世界で、強烈なジレンマにさらされることになる。

リハーサルの別バージョン

リハーサルの別バージョン

私は、一昨年、「教育方法をめぐる冒険」をESJ(日本教育学会の英文年報)に発表した。こうした未開拓分野の研究に取り組む獲得研の模索そのものが冒険であり、メンバーは冒険者だ、ということだ。今回の本の「第1章 獲得型教育とドラマ技法研究」はそのESJの論文をベースにして、大幅改稿したものである。

たとえ研究書であっても、獲得研の本では、固い学術用語の羅列をできるだけ避けるようにしている。だれでも分かりやすく読める本に、というのがコンセプトだからである。それだけに執筆者は、四苦八苦の推敲を迫られる。

会員全員が全部の原稿を読む方式である

会員全員が全部の原稿を読む方式で進める

コア・メンバーの初海茂さん、両角桂子さんで、「終章 資料でみる共同研究の歩み」を書いている。7年間の模索を詳細に跡づける原稿だ。うまくいけば、私たちの冒険がどんなルートをたどり、どこまで進展をみせたのか、それを客観的に眺めることができるだろう。大奮闘中だが、なにしろ資料が多いから大変な様子、この仕上がりも楽しみである。

これと並行して、異文化間教育学会の研究プロジェクトとしてやる「第13回 高校生プレゼンフェスタ」(11月23日)の準備、正月の定例会合宿と3月の「春のセミナー」のプログラムづくり、獲得研シリーズ第3巻『教育プレゼンテーション』(旬報社)の企画が進んでいる。

このまま年をまたいでワサワサ状態が続きそうである。

冬じたく 2

冬じたくで、秋田に帰省した。いつものことだが、早朝に所沢を出発して作業小屋の鍵を開け、1日半で垣根と樹木の剪定をする。ことし一番の課題だった土蔵の屋根の葺き替え工事がうまくいったのをこの目で確認し、一安心できた。

年に2回植木に鋏を入れるようにしている。短い作業時間でもかろうじて体裁を保てているのは、庭道具のおかげである。ただ、急ぎ働きだからどうしても仕事が雑になる。

円形に仕立てたサツキやオンコだけで大小50個はあろうか。立木まで合わせたら、私が格闘してきた相手は相当な数になる。東庭、南庭、西庭という方向と、植木の低層、中層、高層という軸を組み合わせて作業の段取りを決める。迷ってはいられない。向き合った瞬間に仕上がりをイメージしたら、あとは一気呵成に刈り込む。

オンコ 仕上げにかかる直前の様子

オンコ 仕上げにかかる直前の様子

写真はオンコの大刈込である。父親の場合は、低い方から鋏をいれ、高いところにさしかかると、いったん植込みの内側に入って脚立を立て直した。枝をかき分けて体を外にだし、鋏を胸のあたりで操作して表面を仕上げるためだ。もちろん剪定鋏一本の仕事である。私の場合は、表側に脚立を立て、ヘッジトリマーから高枝切り鋏まで三つの道具を使ってサッと仕上げる。

床屋さんと同じで、剪定は際(きわ)の仕上げが大切だが、残念ながらそう構ってはいられない。昔のオンコの写真と見くらべたら、私の整枝は似て非なるものだった。しかし、こればかりは仕方がない。思うさま時間がかけられるのは、リタイアした後のことになる。

臥龍の松の新芽 まだ瑞々しい

臥龍の松の新芽 まだ瑞々しい

かろうじて庭の体裁を保っているといったが、その点も微妙だ。景色がゆっくりとしかし絶え間なく変化しているせいで、ほんの10年前とも様子が違うのだ。実生(みしょう)で芽を出した樹木が成長し、気が付くと背丈より伸びていることがざらにある。既存の樹木もそれぞれ成長のスピードが違う。少し放っておくと、たちまち高所の枝が伸びて日陰をつくり、低木に枯れ枝ができる。

つまるところ私がしてきたのは、樹木にまんべんなく日の光をあてることで、それは樹木同士の関係に折り合いをつける作業である。“庭づくり”などという大層なものではない。10年たってやっとそのことに気づいた。競馬に馬なりという言葉があるが“樹なり”といったところだろう。

もっとも、元の姿を維持するのを諦めたら、途端に庭仕事が楽しくなった。気持ちが不思議に軽くなったのである。

正岡子規の研究授業

ぼっちゃんバッグはときどき旅先にもっていく

ぼっちゃんバッグ ときどき旅先にもっていく

埼玉県小川町の小学校で、教育実習生・尾崎佳奈さんの授業を参観した。6年生の国語で、正岡子規の句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を鑑賞する。

俳句の授業に行き合わせるのは珍しい。昔、ニューヨーク郊外の補習授業校で、芭蕉の句「古池や 蛙飛び込む 水の音」の授業に参加したことがある。この句に漂う湿潤な空気感、それと広い芝生に囲まれたアメリカの校舎のカラッと乾いた空気感がなんともミスマッチで面白かった。

ここ小川町は和紙の里で知られる。学年1クラスの小さな学校は、周囲を小高い山にかこまれて静かだ。ときは秋。子規の句の鑑賞にはうってつけの環境である。

子規の病が小康を得て奈良に旅した折に、お礼の心をこめて漱石につくった句だという。尾崎さんの授業は、熟した柿の実と夕方の空がともにオレンジ色で、その色彩が呼応しているという解釈だった。なるほど。ただ私は、この夏、東大寺の大鐘・奈良太郎を見てきたばかりだったから、子規がきいたであろう鐘の余韻の方に心が動いた。

大人になってから句作というものをほとんどしたことがないのだが、二つだけ例外がある。その一つが四国松山に旅したときの句で、鐘の音をテーマにして詠んだ。松山の町のあちこちに俳句ポストがあるので、それに刺激されて作ったのである。2006年の2月だったかと思う。

「石手寺や 鐘のひとつき 梅かほる」。雨上がりの道を石手寺まで行き、境内で鐘をついたところ、そのうなりが朝方の清澄な空気をふるわせ、梅の香がにおいたったという素朴な句である。

俳句ポストは2カ月ごとに開函されるらしい。忘れたころに、地元新聞の記事と入選通知が送られてきた。「「泉」主宰 上原白水 選」とある。2006年の2~3月分の投句が3月31日に開函されている。なんと第217回の開函である。作品数は1331句。このうち特選3句と入選20句が新聞に掲載されているのだが、私の句も入選20句の先頭にあった。

7月になって、こんどは過去1年間の入選作が載った『松山市観光俳句ポスト入選句集 第37巻』(松山市産業経済部観光産業振興課)が届いた。それによると俳句ポストに投函された平成17年度までの作品累計は34万1207句、投句者数は20万1464人にのぼる。記念品として、坊ちゃん列車がデザインされた手提げ袋まで同封されているではないか。

土地の文化というのか、子規の力というべきか。根岸の子規庵訪問などいくらか助走があったにしても、松山にいって詩心を刺激されたことが、思いがけない展開をもたらした。わずか17文字のなかに、色、音、香り、気分、動作、そして人生や歴史までも凝縮してしまう俳句というものの凄さを、今回の授業参観で改めて感じたことだった。