武田富美子先生の近刊

武田富美子先生が、ドラマワークショップ&シンポジウム「ドラマを通して教育をみる―学ぶ場ってなんだろう」をもとに晩成書房から本をだす。昨年、立命館大学のびわ湖草津キャンパスで開いた催しの実況とそれに考察をくわえた作品である。

武田さんは、今年すでに『実践ドラマ教育―想像と表現の参加型学習』をだしておられる。精力的な仕事ぶりがなんとも頼もしい。今回は、獲得研の渡辺貴裕先生が共編者になっている。

推薦の言葉を依頼されて、昨日、まずは次のような初稿を送った。本の面白さを伝えるために、これからもう少し推敲したいと思っている。

いうまでもないことだが、教育という営みは、教師・学習者のコミュニケーション行為の連鎖でなりたっている。したがって、教室のコミュニケーション環境が子どもたちの学びの質に大きくかかわるのは当然である。

では、近年にいたるまで、教育コミュニケーションというものに教育界の関心が向かわなかったのはなぜだろうか。理由は色々に考えられるが、その一つは国民教育の中で学校が果たしてきた役割に関係している。わけても、授業が教科書の内容を生徒にかみくだいて伝える行為であるとされ、教師にその優秀なエージェントであることが期待されてきたということが大きい。

こうした知識注入型授業が教授定型となっている教室では、いきおい教育コミュニケーションも、教壇から教師が花に水を注ぐように言葉の雨を降らせる一方通行のものになりがちである。そうした状況が長年続いてきたのであるから、いくら国際化、グローバル化の時代には双方向型のコミュニケーションが大切だといわれたり、企業の8割が新入社員の採用にあたってコミュニケーション能力の有無を重視しているという数字を示されたりしたところで、にわかには対応できないのである。

むしろ教育コミュニケーションの問題は、この国の言語風土にまでかかわる問題である。その変容には長い時間がかかると考えた方が良い。

いま、ドラマと教育の関係に注目が集まっているのは、こうした背景と深くかかわっている。言葉はもちろんのこと、身体も感性も駆使して全身でコミュニケーションを行うのがドラマワークの特質だということを考えると、ドラマへの注目はむしろ自然の成り行きのようにみえる。時代の要請と言い換えてもいいだろう。

演劇人を中心としてたくさんの芸術家たちが学校にでかけてワークショップをおこなう文科省の事業「児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験」が、政権が変わっても存続しているということに、この間の事情が端的に示されている。

教室が協同的で探究的な学びの場になるためには、だれもがのびのびと自分を表出できるような<教師-生徒>、<生徒-生徒>関係になっていく必要がある。教育の場に漂う閉塞感を批判したり双方向型コミュニケーションの不足を嘆いたりするのは簡単だが、いま必要なのは対案の提示だろう。

ひるがえって本書を読むと、従来の教育コミュニケーションを、その不自然さも含めて相対化するための視点が満載である。というのも、ここに収録されている「ドラマワークショップ&シンポジウム」の空間そのものが、ドラマを媒介にした異文化間コミュニケーションの実験室という趣だからだ。

鈴木聡之さん(インプロ)、岩橋由莉さん(コミュニケーション・アーツ)、羽地朝和さん(プレイバック・シアター)が三者三様のワークショップを展開し、それぞれのファシリテーションについてコメントしあう。

なんだか異種格闘技のようにも聞こえるが、むしろこの実験的プログラムをだれよりも楽しんでいるのは、すうさん、ゆりさん、はねちゃん自身であるように見える。お互いに対するコメントが、ちょっとした違和感の表出も含めてじつに率直で温かい。だから、それぞれの個性が粒だっているのに、えも言われぬハーモニーが感じられる。多文化化する日本の市民社会もこんなふうに成熟したいものだ。

そのハーモニーはどこから生まれるのだろうか。スタイルは異なれども、ドラマ・演劇を仕事にしていることからくるお互いへの共感からだろうか。それとも、何らかの形で学校とかかわりを持つ活動を続けているという共通点からだろうか。

もちろんそれもあるだろうが、わたしには二人のコーディネーターの存在が大きいように感じられる。学びの即興劇の世界を切り拓いてきた編集代表の武田富美子さんが、会場をつつむ信頼の輪の中心にいて、お互いを緩やかにつないでいる。教育方法学が専門の渡辺貴裕さんが、三人に軽やかに質問をなげかけて、この実験室をさらに刺激的な空間にしている。

ふーみんとたかさんは、わたしの研究仲間である。獲得型教育研究会で“参加型アクティビティの体系化と教師研修システムの開発”を推し進めてきたいわば同志である。本書の全体にただよう闊達な空気感とハーモニーは、いつも獲得研の議論を活性化してくれる二人の姿と重なってみえる。

ワークショップで急がずゆっくりと参加者の関係を近づけていくすうさん、「わからない」ことをゆったり味わってもらうゆりさん、相手の世界に一緒に入っていくはねちゃん。読者は、ライブ感あふれる本書のなかで、学校の身体、学校のコミュニケーションを相対化するたくさんの視点が、乱反射するように輝いていることを発見するはずである。

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