演劇的知と身体性-日本教育方法学会49回大会

台風26号の影響で大学が休校になり、ブログをアップする時間ができた。尋常でない忙しさが続いたから、今日でちょっとリズムが変わるかもしれない。

先週末、日本教育方法学会の第49回大会(埼玉大学)で6回目のラウンドテーブルをやった。共通テーマは「演劇的知の教育方法学的検討(1)」。演劇的知の概念を、いまのところ表象・実践・分析という三つのレベルでとらえている。これまでの5年間は「教育方法のトポロジー」を共通テーマにしておもに実践レベルの考察にウェートをおいてきた。これからは三つのレベルを串刺しにするセッションにしよう。そう考えて共通テーマを変えた。

共同研究が折り返し点にさしかかったという認識である。先陣をきってくれた宮原順寛氏(北海道教育大学)の報告「授業研究における身体性―演劇的知のパラダイム再考」が滅法刺激的だった。教育現象学からの提起である。

なにしろ12ページにおよぶ文章にスライドさらに実践場面のDVD試聴までつく意欲的なものだから、とてもここで整理はできないが、とくに心に残ったのが以下の点である。

まず議論の前提にかかわることだ。中村雄二郎の演劇的知の概念はしばしば近代科学への対抗軸(非合理の復権)として注目されがちである。だが、本来的には新しい統合原理であることにこそ着目すべきである。それはフッサールが現象学を統合原理にしようとしたことに照応しているだろう。

次に授業研究にかかわる以下の視点がチャレンジングだった。方法学研究の歴史的パラダイム転換というものを、吉本均氏の学習集団研究の蓄積を通して検討すると、次のような特徴が浮かんでくる。それは、パラダイムの転換が「主観と客観の解明」から「主観から主体への置き換え」の方向で おこなわれてきたということだ。そこでの”見失われた環”が、間主観性についての議論である。

これからは「主観客観問題の解明」にもう一度向き合うことからはじめて、主観客観の二元論を超克し、その基礎の上に、授業実践の間主観的な記述と考察がなされる必要がある。

最後に、難解な議論から一転して長崎県のA小学校の実践場面の報告・分析になるのだが、そこに授業の質的研究を丹念に続ける宮原氏のスタンスがみえてきた。とりわけ子どもたちが学びの場でしめす身体的共振に触れて思わず涙を流したというエピソードが紹介されたとき、ひげ面の観察者・宮原氏の人柄がそこはかとなく浮かんできて、会場から「いい話を聞いたなあ」という波動が起こった。

来年の広島大学大会では、中野貴文氏(熊本大学)が日本の古典教育の視座から提起してくれることになっている。いまから楽しみである。

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