柳生街道の二人

柳生街道をそれて地獄谷にむかう斜面を下りはじめたが、途中でだんだん後悔の念がつのってきた。1993年、晩秋の午後のことである。思った以上に谷が深いのだ。ギザギザ道の急斜面がえんえん続く。ジャケットにステッキ代わりの雨傘といういでたちが、いかにも不似合いな状況である。急坂のカーブを曲がろうにも、革靴ではブレーキが利かない。

わたしの前にも後ろにも、人の気配というものが全くない。円成寺から奈良市内まで、柳生街道を何度か歩いているが、ひとりでくるのは今回が初めてだ。日差しがじょじょに弱くなって、ひと昔前なら、追剥でもでそうな雰囲気になっている。

いっそ街道まで戻ろうかとも思うのだが、いまきた急坂のことを考えると決心がつかない。とつおいつ迷ううちに、頭上から人声が聞こえてきた。それがぐんぐん近づいてくる。やがて現れたのは70年配とみえる男性が二人、こなれた山歩きの格好をしている。さっき、峠の茶屋で名物の味噌汁を飲んだとき、座敷の奥で休憩していた人たちだ。地獄に仏とはこのことである。

それで奇妙な取り合わせの三人組ができた。正倉院展をみたついでの街道歩きだと話すうち、だんだん会話が弾みだした。リタイア組と見えたがどうもまだ現役らしい。長身の男性は天王寺のあたりで機械工具商をしている。小柄でがっしりした男性は難波で食堂を営んでいる。一方が社交的で、他方が寡黙な印象である。

二人は古くからの友人で、日帰り圏の山によく一緒に登るという。どおりで健脚なわけだ。リュックにつめた缶ビールが1本、「これを山の上で飲むのが何より楽しみで」と声をそろえる。なんともうらやましい友人関係である。

前になり後になりして歩きながらそんな話を聞いた。首切り地蔵の横を通り、石ころだらけの滝坂道を過ぎ、高畑の旧志賀直哉邸にでるころにたそがれ時になった。破石のバス停で市内循環バスをまつあいだ、つかの間の沈黙が来て、はっとするほど秋めいた風が吹いた。するとくだんの寡黙な男性が「こんな時刻が一番好きなんです」といった。

二人はJR奈良駅までいく。わたしは近鉄奈良駅でバスを降りる。駅のあたりはもう夜の灯りに彩られている。「それでは、ごめんください」といって見送った。

あれから20年たち、出会いの記憶もおぼろげになった。晩秋の透明な時間が流れる感覚は、私の中にいまもたしかに残っている。それでも、いったいあの人たちは本当に実在する人だったのだろうか、と疑わしく感じられる時がある。

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