帯に「ICU高校の名物授業「キリスト教概論」、略して「キリガイ」。成績をつけない“丸腰”教師アリマンとの対話から飛び出した、高校生たちの期末試験名(迷)回答集」とある。
有馬平吉さんは、週1回ある1年生と2年生のキリガイを一人で担当している。授業は、愛、労働、偽善、罪、死などをテーマに対話型で行われる。平易な日常の言葉を使い、生徒にとって身近な素材を手がかりにしてテーマを探究するのが特徴である。
期末試験は記述式、複数の設問から生徒がひとつだけ選んで回答する。評定をつけないかわり、480名全員の回答にコメントをつけて返却する。この往復書簡のような大仕事をアリマンは30年以上続けている。
生徒の文章を抜粋したプリント「キリガイ名(迷)言集」の発行をはじめたのは、20年ほどまえのことになる。一人で読むのはもったいないと有馬さんが考えたのだ。生徒たちはもちろん私もすぐ愛読者のひとりになった。
本書には、2年生の書いた文章が収録されている。「高校生(それも友だち)のリアルな問いかけや意見は、書店に並べられている言葉よりもずっと色々な事を私に考えさせてくれるし納得させてくれる」と生徒自身が書く通り、迷いの真っただ中にある若者の率直な表現が全編にあふれている。
編著者の有馬さんと、人生で2度出会っている。最初は1970年、ICUに入学してグリークラブにはいったときだ。グリークラブでテナーを担当し、器楽部ではベースを演奏する、こんな音楽好きは当時でも珍しかった。翌年、1年先輩の有馬さんがグリーの部長、わたしが指揮者という役回りになった。
ところが、お互いにリーダーとしてはいささか緻密さに欠けるところがある。そろって合宿の集合時間に遅刻した。おしゃべりに夢中で、降車駅の相模湖を通り過ぎてしまったのだ。携帯電話などない時代である。おかげでお姉さん部員たちにこっぴどく叱られるはめになった。
2度目の出会いは1980年、錦城高校から創立3年目のICU高校に移ったときだ。そこにキリガイを担当する有馬さんがいた。それからというもの『帰国生のいる教室』(NHKブックス)の研究仲間だったり、学校祭で穂苅美奈子さん(体育科:アーチェリーのオリンピック選手)と3人でPPMの「パフ」や赤い鳥の「竹田の子守唄」を演奏するバンド仲間だったりと、さまざまに交流が続いた。
有馬さんは、ICU高校のクリスチャニティーを体現する人である。ただ、点数をつけない授業、「伝統」にも「権威」にも寄りかからない授業を長年にわたってなりたたせるのは、並大抵のことではない。私はそうした新しい授業に挑戦し続ける有馬さんへの信頼が、生徒の率直な文章を生んだと考えている。
巻末にある「キリガイ授業の基本方針」というわずか18ページの文章に、有馬さんの教育哲学が凝縮されている。わけても印象的なのは「生徒の前で語っていることを自ら本当に実感しているのかどうか、・・・そして何よりもこれらすべてを語りかけようとする大本であるところの私自身の信仰そのものは、本当に確かなのかどうかを、常に自己吟味しなければならない」と語っている箇所である。30年以上にわたって、教える側の主体性を問い直しつつ一筋の道を歩いてきた、そのことに粛然とする。
本書の存在は、生徒の自主性を尊重するICU高校の教育実践のひとつの到達点を示すものだろう。昨今、道徳を「教科」化し評定をつけるという方向が取沙汰されているが、本書はそうした動向に対するアンチテーゼの意味ももっているのではないか。
この本の登場は、私にとって有馬さんとの3度目の出会いを意味している(新教出版社 2012年)