3.11と短歌の力

獲得研レクチャー・シリーズ第5回のスピーカーは、辻本勇夫氏(文化交流工房代表 前国際交流基金NY事務所長)だった。4月20日の講演「Voices from Japan 日本の声を世界に届ける」にふれてから、ずっと表現の回路ということについて考えている。

辻本さんは、朝日歌壇でとりあげられた被災地の短歌を、新古今和歌集を専門にするアメリカ人研究者と協力して翻訳し、ニューヨーク、カンザス、サンフランシスコ、東京で展覧会をひらいてきた。きっかけの一首は、美原凍子さん(福島県)の、次の作品だったという。

生きてゆかねばならぬから 原発の 爆発の日も 米を研ぎおり

歌こそ「日本人の胸のうち」をつたえるものだという着眼は、長く文化交流にかかわってきた辻本さんの卓見である。私たちはいま100首を超える短歌を日英両語でよむことができる。

辻本さんはこの講演で、人はなぜ苦難のときに詩をつくるのかと問いかけ、詩が飾りものなどではなく人生にとって本当に必要なものだからではないか、という。

ふるさとは 無音無人の町になり 地の果てのごとく 遠くなりたり

「ただいま」と 主なき家に 声かける 懐かしき匂いに 声あげて泣く

これらの歌を書いた、半杭蛍子さん(福島県)は、ASIJの高校生たちに「震災からもう2年目の冬をむかえるんですけど、寂しさが薄れるのかなと思ったら、まだ薄れないのね。かえって悲しみが深くなって。そんなどうしようもない気持ちを短歌に表すことによって、自分がすごく救われるの」と応えている。(東京展パンフレット 33頁)

号泣して 元の形に もどるなら 眼つぶれる までを泣きます

この歌を書いた、加藤信子さん(岩手県)も、こう応えている。「避難所では全員が同じ状況でしょう? 皆が家を流されたっていう思いをしている。私だけ流されたなら、おいおいと泣くけれど、みんな同じだから、日本人は感情を表せない。・・・ああ紙と鉛筆が欲しい、食べるものより、私は紙と鉛筆がほしいと思ったのね。1週間目ぐらいに紙と鉛筆が手に入りました」。

加藤さんは続けて「私が一番望んでいるのは、やっぱり終のすみか。終のすみかに落ち着きたいの。「ここでもう安らかに死んでもいい」っていうような場所がほしい。そこで死にたい」という。(同 27頁)

辻本さんは、こうした一連の震災詩の成立は、短歌という形式(箱)があってのことではないか、という。文化的伝統のなかで育まれてきた、五・七・五・七・七の形式が、感情の表出を可能にしている。抽象化した表現を得意とする俳句に震災詩が少なく、「短くて長い」短歌に作品が多いのはそうした特徴によるからだ、とも分析している。

十月経て いまだ不明の 夫を死と 認めて従妹 ふるさとを去る

この歌を詠んだ三船武子さん(岩手県)は、こう応えている。「短歌はずっと作っていたのですけど、こんなショックなことがあると言葉も何も浮かびません。そうしているうちに私の短歌の大先輩が「何でもいいから言葉を書きなさい」といいました。そうすると不思議でね、五音か七音をつなぎあわせると短歌になるわけです。DNAでしょうね、日本人の。書くということ、手で書くということは心を働かせるっていう作用があるということを実感しましたね」。(同 39頁)

辻本夫人の京子さん(獲得研事務局)が、3.11の悲惨を伝える震災展としてではなく、歌人と読み手が心を通わせる場としてこの展覧会を構想したのだ、と語っている。31文字の向こうから、抜き差しならない状況におかれた、一人一人の人生が見えてくる。

その言葉の通り、この日わたしたちは、歌を読んでは泣き、感想を語っては泣き、歌人たちと辻本さんの交流の様子をきいては泣いた。

文化交流工房:HP http://www.voices-from-japan.org/ja/index.html

コメントは停止中です。