1993年の「日本国際理解教育学会・第3回研究発表大会」でディベート指導について報告したとき、国連大学の会議室の後ろに、腕組みしてじっと耳を傾ける小柄な男性がいるのに気がついた。それが天城勲氏(故人)だった。
77歳の学会会長は、国際派として知られる人で、戦後を代表する元文部事務次官である。天城さんが教育政策の形成にどうかかわったかについての検証は、政策研究大学院大学「天城勲 オーラルヒストリー」(上下巻、A4判534ページ、2002年)に詳しいので、ここでは触れない。
翌々年、第1回の公選理事に選ばれてから言葉をかわすことが多くなった。スーツ姿の姿勢がよく、ひとり徒歩で会場にあらわれる。座敷にあがるときは丁寧に靴ひもをほどく。短く鋭いコメントを連発する様子は、徹底したリアリストの風貌である。
会議が長引きふっと居眠り状態に入るときがあっても、目覚めのコメントが急所をついていて、なぜだか「スターウォーズ」の賢人・ヨーダの姿がうかんでくる。
最初は遠い存在だったが、だれとでも分け隔てなく接していたから、若い世代へのメッセージを聞きに文部省の顧問室をたずねた。96年の夏のことで、多田孝志さん、岡田真樹子さんも一緒である。気楽なおしゃべりのつもりだったが、7時間のロングインタビューになった。
話のスケールの大きさにまず仰天した。大きな構図のなかで具体的なエピソードが泉のように湧いてくるから、聴いているこちらの視野が開ける感じがある。歴史を好み、歴史の教科書を机上においているとも聞いた。
リアリストと理想主義者、そのバランスも面白く感じた。天城さんの言葉で少しだけ再現してみよう。
地球上の60億人がひとつになるのは容易でない。仮のものでも仕切りが必要で、それが「国」である。国民国家というものはもともと理念型であって、そのフィクション性を自覚したうえで向き合う必要がある。
国の教育は「国民教育」のかたちをとるものだが、現実世界はナショナルとインターナショナルがダイナミックにせめぎ合う世界である。その意味で、国際理解教育は教育の本質にかかわっている。たしかに国際社会のアクターの多様化が進んでいる。ただ、その主役は依然として主権国家=国民国家なのだから、「国」の研究が軽視されてはいけない。
また、現実世界のリアルな認識は必要だが、かといって理想論の軽視は問題である。自然観の問題も含めて、<共生>の思想を再構成し発信していくことがこれからの課題だろう。
ざっとこんな具合である。「国」の問題は、天城さんの生涯のテーマだった。20代の内務官僚として朝鮮半島に赴任し、敗戦と同時に邦人が砂のようにバラバラになっていく体験をしたという話を、2度聞いたことがある。このときの体験が、官僚・天城勲の原点ではないかと思っている。
2000年には、85歳の天城さんが自ら筆をとって、特定課題研究への提起「国際理解教育の基本概念としての「国」を問う」(学会紀要 第6号)を寄稿している。
私が研究委員長になった2001年からの6年間は、特定課題研究の重心を国際理解教育の理論構築にシフトし、「国」の問題を正面から取り上げることをしなかった。
ただ6年後に、ナショナル・アイデンティティ教育の相対化装置としての役割が国際理解教育の存在意義のひとつである、と定義した。角度は違うが、研究の着地点は天城さんとそんなに離れていない、と感じている。