日別アーカイブ: 2013/02/24

実践報告を書く(1)

「エデュケーション・ナウ」(1987年)がきっかけで、雑誌・新聞の原稿依頼が少しずつふえていった。このころから90年代にかけて、実践をベースにした原稿をかれこれ30本ほど書いたかと思う。この数字には、単行本、紀要論文、雑誌連載などふくめていないから、遅筆のわたしとしては、そう少ない数ではない。

まだ市販の教育雑誌に勢いがあって、発表の機会に恵まれたことが大きい。『ひと』(太郎次郎社)、『高校教育展望』(小学館)、『教育』(国土社)、『高校生活指導』(明治図書)など、「エデュケーション・ナウ」や「政経レポート」の実践を発表した雑誌は、どれも元気だった。『ひと』の場合には、原稿用紙40枚をこえる文章でも載せてくれたから、いま考えても良い時代である。浅川満さんをはじめ編集者の人たちが、わたしの獲得型授業論を鍛えてくれたことになる。

締切りを守れなかったことはあるが、幸い原稿をおとしたことはない。複数の大学の非常勤講師のかけもちもしながら、よくできていたと思う。それでなくとも〆切型人間のわたしのこと、楽々ハードルをクリアしたわけではない。

なんどか修羅場があったが、1991年暮れの修羅場はことに深刻だった。郵送やファックスで原稿をやりとりしていたころの話だ。小学館の読書雑誌『本の窓』の名物編集長・眞杉章さんから、毎回おどろくほど丁寧な原稿依頼が届いた。封書にペン書き、ことによると依頼原稿の枚数とさして違わないのではというくらいの文章である。いきおい、こちらも執筆に力がはいる。

このとき依頼されていたタイトルは「学校教育と民主主義」だ。材料をそろえたから、書けるだろうと踏んでいたのだが、なかなか終わらない。とっくに〆切は過ぎた。そうこうしているうちに、関西旅行に出発する朝がきてしまった。

久しぶりの旅行が楽しみで、妻はずっとまえから上機嫌で計画をねっている。関西に移住した仲人の倉橋俊一先生夫妻と落ち合い、神戸の南京町で食事をする約束ももうできている。

だが、いくら焦っても書けないときは書けないものである。手書きだから修正にも時間がかかる。鋏とのりで、切りばりしているうちに、原稿が分厚い手帳のようになってしまった。書きかけの束をかかえ、身は東京を遠ざかる。暗澹たる思いだ。このときばかりは、井上ひさしもかくやという追い詰められた心境になった。

翌日も、朝から、大阪のホテルのカフェに陣取って書きつづける。わたしに「まもなく書きあがるよ」といわれた妻は、コーヒーを飲みながらじっと待つしかないのだが、いかんせんはかがいかない。やっと夕方に脱稿し、神戸の食事会にかけつけた。あれほど楽しみにしていた妻は、旅行期間の半分をただの待ちぼうけで過ごしたことになる。

夫婦に歴史あり。こんな失敗を重ねては、だんだん強いことがいえなくなる。それで今日にいたっている。