海外教育体験に学ぶ (1)

1989年の3月に、『毎日中学生新聞』の清家麗子記者から手紙をもらった。出版されたばかりの『世界の学校から』を面白く読んだ。ついてはうちの読者にも帰国生の海外体験を紹介してもらえないか、という依頼である。

それで5月から翌年3月まで、「外国で学ぶ―ICU高校、帰国生の声から」を連載することになった。週1回、1200字。内容は当方におまかせである。

素材はたくさんある。なにしろ政治経済で3年生全員(6クラス240名)を担当し、毎年「教育体験アンケート」をとっていたからだ。

じかに話してみたいと思う生徒と、授業のあいまをぬって1時間ほどおしゃべりする。原稿化したら、内容に誤りがないか本人にチェックしてもらって清家さんに送る。こうして書いた総計46本の原稿に、24か国の帰国生の体験がつまっている。締め切りに追われ通しだったが、その代り、この作業が「文章トレーニング」になった。

もう一つ大きかったのは、生徒との対話を楽しんでいるうちに、わたし自身の教育観が揺さぶられる経験を何度も味わったことである。ここでは、「授業における表現活動」の意味について考えさせてくれた若林桂さんの記事を再録してみよう。(一部省略。見出し「自分をどう表現するかを重視する授業内容」は新聞社によるもの。)

ギリシャは世界中からお客さんを集める一大観光国。日本からもたくさんのお客がおしよせますが、長く住んでいる日本人の数はそう多くありません。若林桂さん(3年)は、小学校4年から中学3年までの5年間、首都アテネで暮らし、アテネ・アメリカン・コミュニティー・スクール(幼~12年生、生徒数1300人)に通いました。(中略)

この学校は“自分をどう表現するか”ということをとても重視します。6年生では、歴史上の出来事を3分間の寸劇に仕立てる勉強をしました。「マルコポーロが帰国後に出会った苦難とか、スコットランド女王メアリーの処刑など、自分たちで場面を選んで、シナリオや衣装作りをするんです」。こうしてクラスの40人が、かわるがわる主役になってドラマを上演しました。

8年生の「スピーチ・クラス」も多彩な内容でした。ディベート、模擬裁判、ジェスチャー・ゲーム。それに生徒が新聞記事を紹介してから、それについて自分で解説やコメントをつけるという形式の授業もありました。何かモノについて調べ、5分間スピーチをしなさい、という授業では、若林さんも“ボールペンの歴史と構造”について発表しました。

もっとも、苦労もありました。最初は英語ができず、ただ始終にこにこしていたのです。ある日カウンセラーに呼ばれ、「何か悩みはない?」と聞かれました。思い当たることがないので、「いいえ」と答えると、今度はお父さんが学校に呼ばれました。「お嬢さんはなにも話さないので何を考えているのかわからない。家庭に問題があるのではないか」と言われました。

その話を聞いた若林さんはショックでした。「日本では“内気な子”と思われるだけなのに、ここではおとなしい子は“変だ”と思われてしまうんです」。それから意識的に自分を押し出す努力をするようになりました。

そして今は、「自分を素直に表現することも大切だし、ギリシャ人の持つ明るさもとてもいいな」と思うようになったそうです。(1990年1月16日付記事より)

若林さんの学校では、“全身で”表現しながら学ぶというスタイルが、どの学年でもとられている。わたしには、このことと表現しない子は“変だ”ととらえる発想が一つながりのものに思える。

「みんなに迷惑がかからないように、英語がうまくなってから発言しよう」という若林さんの良識は、われわれにとって親しいものである。では、日本でなら、おとなしくて手のかからない転校生と呼ばれるだろう若林さんの行動が、なぜ変にみえるのだろうか。

授業のなかで何かを表現することは、本人の表現スキルを高めるのに役立つ。それはもちろんだが、それだけではない。もっと大事なことは、何かを表現することが仲間をも豊かにする行為であり、それを通して学習コミュニティに貢献することを意味するということである。だから、いわゆる「いい意見」である必要はない。何か質問することや、たとえ間違った意見であってもそれを表明することは、授業内容がわかっていながらダンマリを続けるよりもはるかに推奨すべき行為なのである。

こうしたエートスが、若林さんの学校の参加・表現型授業をなりたたせている。逆にいえば、授業で手をあげて質問した子が、周囲から目立ちたがりととられるような雰囲気がある教室では、たとえ教師が表現型の学習技法をとりいれたとしても、そうかんたんには浸透しない、ということを示している。

まずはコミュニケーションが成立する土壌を耕す必要がある。若林さんの体験から、そんなことを考えさせられた。

コメントは停止中です。