新春文楽公演

新春公演 1月25日まで

新春公演 1月25日まで

初春文楽公演は、住大夫さんが「寿式三番叟」で復帰するということで、二重に華やいだ雰囲気である。昨年は、文楽をめぐっていろんなことがあったから、演者の方たちも、思い一入のようだ。第2部の「本朝廿四孝」では、「十種香の段」の八重垣姫が蓑助さん、「奥庭狐火の段」の八重垣姫が勘十郎さんで、対照的な人形がみられる。

文楽はずっと苦手の部類だった。そもそも世話物の二枚目が優柔不断すぎて、役柄に共感しにくいのだ。ところが、2006年に日本演劇学会がやった「心中天の網島」をみる会に参加して、文楽がにわかに身近になった。

とくに楽屋口からはじまるバックステージ・ツアーがよかった。スリッパでまわるツアーなど初めてである。主遣いの履く舞台下駄も舞台そのものも意想外に大きい。見台がずらりと並ぶ棚の足元は、清めの塩でざらざらしている。演目や演者の選び方に、伝統を伝える工夫があることも、このとき知った。

要するに文楽を多面的に楽しめるようになったということなのだが、越路太夫さんが全盛のころから舞台を見ている妻は「なんでも理屈からはいる。あなたらしいわね」とあきれ顔である。言い返したい気持ちはあるが、そこは先達のいうこと、うかつに反論しないようにしている。

緞帳の上に 大神神社の宮司さんの書

緞帳の上に 大神神社の宮司さんの書

東京と大阪では、客席の雰囲気が違う。最近、それを面白く感じるようになった。高齢の観客が目立つのはどちらも同じだが、東京の国立劇場には、いかにも伝統芸能をみにきましたという教養的な雰囲気がある。大阪の国立文楽劇場の方が、もう少しカジュアルだし、舞台に共感してハンカチをとりだす人の数も、心なしか多いように感じる。

今回の席は4列目の中央あたり。右隣りの席に、わたしより一回り上の年齢とみえる男性がいる。ジャンパーに、ながく使いこんだセカンドバックひとつの身軽な服装である。

床本で予習するほど熱心でないわたしは、大夫の表情も気になるし、字幕の確認も必要だしで、あっちをみたりこっちをみたりするから、いやでも男性の様子が目に入る。このひと、相当な見巧者のようだ。字幕はもちろん、大夫の方もいっさい振り向かず、人形の動きに集中している。

「奥庭狐火の段」では、勘十郎さんが白狐も遣う。まさに超絶技巧。八重垣姫に狐が憑き、舞台が激しく躍動するさまは圧巻である。力強いエネルギーと円熟味の両方が味わえる。

それまで静かにみていた件の男性だが、さすがにこの山場では、舞台の躍動感に呼応するように、ウンともウムとも聞こえる声を、なんどももらしている。舞台がおわると、もとの静かな表情にもどり、なにごともなかったかのように通路をのぼっていった。

文楽は、こういう観客によって支えられてきた芸能なのだろう。

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