日別アーカイブ: 2013/01/29

宝の山へ―奈良歴史教室

わたしは、近鉄奈良駅をでて、登大路を東大寺の方向に歩きだすと、きまって足取りが軽くなる。期待感がそうさせるのだ。ICU高校の歴史教室でも、奈良博の手前の、歩道が少し高くなったあたりまでくると、帰国生たちを集めて「これから宝の山にはいるんだからね」と、いわずにいられなかった。

若い同僚の高柳昌久さん(日本史)と、隔年実施の歴史教室をはじめたのが1990年のことである。飛鳥仏から鎌倉仏まで、仏像鑑賞の手ほどきを柱にした、2泊3日の旅である。

海外で「お寺と神社の違いは?」などと質問され、はかばかしい答えをだせない自分をみつけて、「もっと日本のことを知ろう」と決意する帰国生がたくさんいる。こちらの話がしみ込むように入っていくから、奈良にいくと、ついついしゃべりすぎてしまう。

初日は、東大寺で半日すごした。南大門、大仏殿、鐘楼、三月堂、二月堂、転害門、戒壇院とめぐり、若草山のふもとにある宿・むさし野まで歩く。20人にみたないメンバーだから、機動性にとんでいて、二月堂の茶店での休憩も可能だ。2日目が法隆寺、薬師寺、唐招提寺。3日目の朝に興福寺をみて、京都に移動する。

8月の奈良はなにしろ暑い。バスと電車を乗り継いで移動するのだが、どの寺も閑散としている。そのかわり、日よけの帽子と扇子が手放せない。「なんかの修行みたいだね」という感想もきこえてくる。

外光のなかから法隆寺金堂に入り、柵越しに内陣をのぞくと、目がなれるまで真っ暗である。懐中電灯で、内部を照らしながら、諸仏の様式、仏像のうえにある天蓋、壁面に描かれた宝相華や飛天、また浄土変相図焼失の経緯などを説明していると、生徒のまわりに、年配者の人垣ができた。いっしょに聴こうというのだ。それもあって「よし。リタイアしたら奈良に住み、神出鬼没の“勝手にガイド”をやろう」と、大真面目に考えた。

その後の10年あまり、歴史教室にかぎらず、ICUや日大の学生をガイドして、なんども奈良を訪ねるうち、自分にとっての奈良が、ずいぶん変わってしまったことに気づいた。もともと、ひそかな内省の場所だったはずの寺でらが、まるで教室のような場所になっていたのである。70年代、80年代に感じていたワクワク感が、すっかり影を潜めてしまった。わたしは奈良の仏像について、多くを語りすぎたようである。

そうした喪失感の一方で、別の感情もある。「あれがきっかけで、いまも奈良に通っています」と書いてくる教え子の年賀状をみると、次の世代にバトンタッチできたようで、嬉しくなるのだ。自分が根っからの教師だと感じる瞬間である。