日別アーカイブ: 2013/01/22

宇内薬師堂-薬師如来

「川前の宿」の翌日のこと。以下に記す1981年11月23日の宇内薬師堂の様子は、フィールド・ノート「いま歩きあるき考えていること」(第2集)から再現したものである。

盆地をかこむ山々は、一夜のうちに白さをまし、朝の光をうけて輝いている。会津はすっかり初冬の景色である。

今回の最大の収穫は、会津坂下町浄泉寺(宇内薬師堂)だ。その無住の寺は、戸数わずか11戸の集落にある。この村の人たちは、心映えの美しい人たちに違いない。つつましい境内が、すみずみまで掃き清められている。

本堂のまえで農家の方がでむかえてくれた。ほとんどないことだが、中学生の息子さんも一緒にいる。本堂にあがり、正面の祭壇に一礼して、左わきの廊下を進むと、大きな金庫をおもわせる収蔵庫につきあたった。その鉄製の扉がゆっくり開く。背後からさしこむ光が、収蔵庫のなかを明るくし、目の前に薬師如来の姿をうかびあがらせたときは、おもわず声をあげた。

堂々たる丈六仏、圧倒的な量感である。分厚い体部をおおう通肩の衲衣が、かすかに朱色をおびてみえる。対照的に、衣からのぞく肉身部は、鍍金がかすれ黒漆の色がめだつ。とりわけ、張りのある若々しい顔貌が、黒くつやつやと輝いている。その輝きが、なぜか奈良円成寺の大日如来像を連想させる。

いつものように、正面に正座し、一礼してから、ゆっくり拝観する。一粒ずつ植えられた大きめの螺髪が、頭部に陰影を与えている。ひざなど下半身は後補のようで、表現が類型的でやや平板な印象だが、両肩のもりあがった力強いモデリング、ふくよかさと緊張感が同居する顔の輪郭線をみていると、藤原仏の品格だけでなく、貞観仏の力強さも残す像だと感じられる。

平安時代には、金銅仏や乾漆仏にかわって、たくさんの木彫仏がつくられた。木材は、手に入りやすく加工も容易だが、朽ち果てるのも早い。時の権力と運命をともにして亡失した作品も多い。だから、いま各地に残っているのは、人々の暮らしに根をおろし、信仰の対象として守られてきたものだけである。

しきりに感嘆するわたしたちの話を、父子がニコニコして聞いている。そのうち、寡黙な父親が「このあいだ、俳優の三国連太郎さんがきて、しばーらくここに座ってました」と教えてくれた。

集落の人たちが、この薬師如来像を誇りにすることいかばかりか。10世紀から千年のあいだ会津盆地に鎮座してきたこの像は、これからも大切に守られていくことだろう。

注) 30年たって、この集落はどう変わっているのだろうか。美術の会の仏像行脚は、「訪問地決定―下調べ・資料作り―往復はがきでの訪問依頼―現地訪問・スライド撮影―帰京後の振り返り・作品批評」というように、かなり時間のかかるプロジェクトである。このサイクルを10年間繰り返したことが、結果として、わたしの「ものの見方」のトレーニングにつながっている。