日別アーカイブ: 2013/01/19

川前の宿で-会津盆地の旅

ICU高校に移ったのが1980年。ここからの10年間が、地方仏行脚にもっとも力を入れた時期である。まずは1980年の夏に若狭、1981年の夏に北上川流域、晩秋に会津盆地というように寺院をめぐった。

会津地方は、勝常寺や上宇内薬師堂の薬師如来、大蔵寺の千手観音など、平安仏の宝庫である。このときは、倉橋俊一先生、中村憲治さん(駒場東邦高校)との3人旅。郡山で雪まじりに見えた空が、猪苗代湖あたりでは、とうとう車の視界がぼやけるほどのふきふりになった。

仏像をまえにすると、どうしても長居してしまう。ハガキで約束したとはいえ、鍵をあけてくれる人は、災難である。こちらも、じっくり見たいやら相手が気の毒やらで、落ちつかない。それもあって、しだいに知恵がつき、子細にみる者、管理のひとと雑談する者というように、阿吽の呼吸でローテーションを組むようになった。

2泊目の宿は、阿賀川の岸辺にある慶徳町川前の釣り宿である。仏像をみるのに、釣り宿というのもどうかと思うが、釣り好きの倉橋さんの好みだ。ところが、喜多方の町をではずれてからも、なかなか宿につかない。20分も走ったろうか。山に分け入り、舗装が途切れ、こんどは曲がりくねった急斜面をぐんぐん下りだす。あたりは真っ暗である。

ヘッドライトが照らすさきに、民宿の看板があらわれたときは、さすがにほっとした。オフ・シーズンにもかかわらず、作業着姿の先客4、5人が、すでに食事を終えようとしている。20代から50代とおぼしき物静かな男性グループだ。ふすまを取り払った二間続きの部屋に、石油ストーブがポツンとひとつ。食事がすむともう何もすることがない。

渋茶をすすっておしゃべりしていたら、送電線の管理でここに泊まっていると分かった。冬山にわけいり、鉄塔にのぼって高圧線の雪を落とす、そんな仕事らしい。高所恐怖症気味のわたしとしては、ぜひにも様子が知りたい。

下を通るだけで、ジリジリうなる音が聞こえるくらいだから、数万ボルトの電流がつくりだす磁場のつよさは、相当なものだろう。ただし、高圧線にふれて命をおとす事故はほとんどなく、用心すべきは、うっかり枝線にふれ、そのショックで転落する事故なのだという。

意識のとどかないところに落とし穴があるというこの教訓は、生命の危険と隣りあわせの仕事から生まれたものだが、われわれの人生訓にもなりうる。訥々と語られる年配者たちの生活哲学を、若者が黙って聞いている。きっとこの人たちは、高所の作業を可能にする知恵と身体技法を、豊かに継承しているのだろう。

あまりの寒さで、セーターを着たまま布団に入った。夜があけると、翌日は快晴。フロントガラスの霜を溶かし、山を見上げ、なるほどこの河岸段丘をかけくだったのか、と納得する。この年から、雪山に屹立する鉄塔をみるたび、川前の宿の一夜を思い出すようになった。