日別アーカイブ: 2013/01/14

大雪とスキーの身体

大雪の成人式である。雪に降りこめられて、連休の最終日を家で過ごした人も多いことだろう。

大雪の記憶では、やはり三八豪雪(1963年)が鮮明である。小学校6年生のときだ。「かまくら」で有名な横手市などとちがって、平野部にあるわたしの村は、さほど降雪量の多くない地域なのだが、この年ばかりは、けた違いの雪がのしのしと降った。

屋根から降ろした雪の高さが、軒端ちかくまできたのを幸い、足からプールに飛び込む要領でダイブして遊んだ。全身がかくれるほど、柔らかい雪に埋もれるのがなんとも楽しかったが、すぐそんな悠長な状態でなくなった。窓という窓が、雪の壁でおおわれ、日中でも家の中が薄暗くなってしまったのだ。

隣町の映画館に「まぼろし探偵」がかかると聞き、集落の同級生で観にいった。自動車みちが、細く踏み固められた一本道になっている。列をつくって、踏み跡をたどっていくと、足元から自動車の屋根がでてきた。雪で立ち往生した車が、そのまま放置されてしまったものらしい。

物心つくころから、そりやスキーに親しんでいた。最初の記憶は、ごく幼児期に、祖父が見守るなか、庭の築山からそりで滑りおりたときのものである。

小学校時代は、スキーに夢中だった。近くの山が雪に覆われるのをまって、朝早くから暗くなるまですべる。スケートもやったが、こちらの難点は、池の氷がじゅうぶん厚くなるまで待たねばならず、楽しめる期間が限られることだ。

もちろんスラロームを楽しむようなゲレンデもなければ用具もない。60年代半ばになって、スキー板とスキー靴をセットで買ってもらう子もあらわれたが、大方は長靴をゴムバンドでスキー板と固定する簡易ないでたち、素早いターンなどおよびもつかない装備だった。段々畑の頂上までスキー板をかついでいき、あとはひたすら滑降する。大きなギャップもそのままジャンプで越える。実際のところは、ブレーキをかける方法がなかったというのが正しい。

誰に習ったのでもないが、乱暴なすべりを、見よう見まねで繰り返しているうちに、バランス感覚がきたえられ、滅多なことで転倒しなくなった。

中学校のときから、ほとんどスキーというものをやっていない。ただ、実践で身につけた感覚は、ながく残るらしい。というのも、ICU高校の教師時代、初級者コースではあれ、スキー教室の指導員の役割を大過なくこなせたからだ。