日別アーカイブ: 2013/01/12

長崎の市場にて

旅先の市場の印象が、その土地の印象として記憶されることがある。市場は、日常の暮らしが垣間みえる場所だからだ。品ぞろえにあらわれる風土性、客と店員がやりとりする声の調子、接客のあいまに店のすみでつかうお弁当のおかず、これらすべてがあわさって町の印象になる。

だから、京都なら、錦小路よりも出町の小さな市場、那覇なら、公設市場よりも細い路地にびっしり商品台がならぶ栄町市場に、より旅心をさそわれる。

1985年の晩秋に、長崎県にある青果市場を訪ねた。さほど広くない道をすすむと、町角にひょっこり市場が姿をあらわす。足をふみいれるだけで、場内を一望できる、体育館のようながらんとした建物である。

右手の奥に、食堂と書いたのれんがみえる。カウンターの向こうでは、割烹着姿のご婦人が、洗い物をしている。ここで遅い昼食をとることにした。椅子が5、6脚あるが、ほかに客の姿はない。うどんができるのを待つあいだ、「お客さんどちらから?」「東京です」というお決まりのやり取りをする。

東京という言葉に反応して、女主人が、こんな身の上話をはじめた。親一人、子一人で育てた息子が、東京に働きにでて、サラリーマン家庭で育った気立てのいいお嬢さんと出会い、この町に一緒に戻ってきた。母をおもう孝行息子の行動がどれだけ嬉しかったことか。生活に余裕のない2人のアパートに、せっせと食材を届けることで、その気持ちをつたえた。

家族の幸福は、そう長くつづかなかった。つい最近、東京の両親が、娘を連れ戻しにきたのだ。もともと二人の関係をみとめていなかったらしい。「食堂を手伝ってもらったりして、仲よくやってたんだけどねえ」と、息子の嫁になるはずだった人との日々を思いだしてつくため息に、無力感と無念さがにじむ。

なぐさめの言葉がみつらないわたしは、ただ相槌をうつばかり。将来の不安を言いつのる東京の両親のまえで、じっと耐えている口べたな息子の姿が目に浮かぶようで、切ない。

かかえきれない悩みが、わたしたちを語らせる。昼食時の忙しさで紛れていた屈託が、客足が途切れるとともにあふれでて、ちょうどわたしが現れた。だれかに話したからといって、状況が変わるわけではない。ほんの少し気分が楽になるだけだ。それでかまわないのである。

その後、九州にいくたびに、たてつづけに同じような経験をした。熊本空港で乗ったリムジンバスで、自閉症の子をもつご婦人に、福岡を通過する鉄道で若い大工さんに、問わず語りで身の上話を聞かされたのだ。ほかの地方では、そんな経験をしたことがないから、なんとなし、九州には自己開示をおそれない人が多い、という印象が、わたしのなかに残ってしまっている。