正月を迎える

秋葉権現 1978年の撮影

上京して食べる機会がなくなったものに、真っ赤な酢蛸(すだこ)がある。物心ついてから、正月の食卓にずっとあったものだ。先日スーパーでみかけて、幼少期の光景がよみがえってきた。うかんでくるのは、3世代8人家族の暮らしぶりである。

1950年代の農村では、小学生といえども、春の菖蒲叩き、夏の七夕行列、正月のなまはげなど、季節ごとになにかしら行事があったから、時間の区切りがいまよりもはっきりしていた。

ことに正月迎えの儀式が忘れがたい。いつからはじまったものだろうか。わが家では、大晦日の夕方に、屋敷内を参拝してまわる習慣があった。気忙しい準備のハイライトである。仏間、三面大黒のある台所、屋敷の西南方向にあるお稲荷さんの祠、母屋の西にたつ米蔵というように毎年おなじルートでまわる。享保年間の棟札のある土蔵が、その当時、米蔵になっていた。

昼間のうちに父親が、母屋から庭をつっきり、祠と米蔵にいくルートの雪かきをしておく。その細いみちをたどって土蔵にはいると、厚い漆喰扉のむこうに大きなろうそくの炎がゆれ、ととのえられた祭壇をほの明るくみせている。周囲をとりまく漆黒の闇がことに幻想的である。

コースを一巡して明るい客間にもどり、さいごに天井近くにしつらえられた神棚をおがむ。餅花がさがり、石造の秋葉権現がおかれた神棚だ。長押には、天照大神をまんなかにして、農神、高砂、お多福などの軸が盛大にかざられ、まるで神々が勢ぞろいしたようなにぎやかさになる。その前のテーブルにお供え物を載せたお膳が二つ。佐竹藩主の描いた茶がけの軸も、この時期だけかかる。

この儀式がすむと、めいめいがお膳について、大晦日の夕食になる。一年の感謝と来年への期待がこもった食事には、どこか厳粛な雰囲気があった。そのお膳に欠かせないのが、ぶつ切りの蛸なのである。

いく日もかかる正月迎えの準備があってこそ、正月気分がいっそう晴れがましいものになる。年取りの夜が明け、新しい履物や衣類をととのえてもらうと、すがすがしい気分になった。

「ハレ」と「ケ」というが、こうした儀式を通して、日常の時間のなかに非日常の時間が入り込んでくる。そこにうまれるのが、いまは失われてしまった演劇的空間である。わたしにとってその空間は、光と闇のコントラストが鮮やかな世界だった。

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