日別アーカイブ: 2012/11/23

中学の同級生

日立中央研究所の大池

日曜の正午ピッタリに国分寺の友人宅をたずねた。打ち立て・ゆでたての蕎麦を夫婦でご馳走になるのだ。鷲谷信一くんは、「ことば」カテゴリ-の記事「方言とラジオ(1)」に登場するWくんだ。そば通でない私でも、北海道産新そばの香り、こし、そして包丁づかいのみごとさがわかる。彼はそんなそばを打つ。

「中学時代、いつも一緒にいたよね」と夫人の厚子さんが言う通り、信一くんがいちばん気の合う友人だった。別々の高校にかようようになってからも、ふたりで松島、中尊寺方面に旅をしている。文学少年だったわたしは、牡鹿半島から金華山までのおだやかな海上風景を、文語体で旅日記に書いたりした。高校2年生の夏のことだ。

西国分寺駅付近の夕暮れ

昼食の後、日立中央研究所庭園の一般公開、湧水でしられるお鷹のみち、7世紀の東山道の史跡など、武蔵野らしいルートを案内してくれた。ことに日立中央研究所庭園は大盛況。観光バスが周囲に何台もとまり、団体客が乗り降りしている。20万平方メートルの敷地に2万7千本の樹木がしげり、野川の源流があることでも知られている。この研究所が、信一くんのもとの職場だから、またとないガイドである。

鷲谷夫妻とわたしは、もともと統合中学校の同級だ。厚子さんにいたっては、東小学校時代からの同級生で、児童会長選挙の応援演説をしてくれた人だ。厚子さんは、わたしの生家から自転車で10分ばかり上手の集落の生まれ、西小学校出身の信一くんは、生家から八郎潟方向にやはり10分ほど下った集落の生まれである。

ともだち結婚のふたりと話していると、とても穏やかな時間がながれる。この日も8時間あまり、おたがいの病気自慢もまじえて、あれからこれへとおしゃべりがつづく。とりわけ、わたしのなかの15歳の記憶が、多様な角度から補強されたり、修正されたりするから面白い。

ふたりはまだこのブログ「演劇的知の周辺」を読んだことがない。いつか感想を聞いてみたいと、思っている。

ブログが80年代に突入

ブログをたちあげて半年たつ。この間、いくつか柱のようなものができてきた。大きな柱の一つが、わたし自身の来歴にかんする記事だ。

ほかのカテゴリーに分類したものも多いが、おおよその流れはつぎのようになる。「思い出」(幼少年期から秋田高校時代)、「学生時代」(1970年のICU入学から大学院生時代)、「帰国生と学ぶ」(1980年にはじまるICU高校の教師時代)、「いま大学で」(2003年に日本大学文理学部に移ってから)。

順をおって書いてきて、やっと「帰国生と学ぶ」にさしかかった。1980年から20年以上にわたる時期、なにしろ長い。この時代は、活動の幅がどんどん広がっていく時期でもある。テーマを決め、焦点化して書かないと、いっかな通過できないおそれがある。

きのう和田俊彦さんと話したら、詳しく読んでみたいから長くても構わない、という。和田さんはICU高校の卒業生でかつ「エデュケーション・ナウ」の2期生。「教育の中の戦争と平和」というテーマで、ディベート・ドラマ『沖縄戦を中学校で教えるべきか』に取り組んだときのリーダーのひとりだ。当時の教え子が、いまは獲得研の研究仲間。そうはいっても、である。現在の和田さんの年代のころの自分を語ることになる。なかなか難しい。

それで、とりあえずのテーマを、わたしが教師として経験した30代からの「(自己)トレーニング」について書いてみよう、と考えている。はてさて、どんなことになりますやら。