わたしの著作のなかに、帰国生の体験をテーマにしたものが3冊ある。いずれもICU高校時代のものだが、とりわけ『学校の居心地 世界と日本』(学事出版 2000年)の完成に時間がかかった。というのも、教員向けの雑誌『月刊 生徒指導』に2年間連載した原稿「世界の生徒指導」を、さらに時間をかけて改訂したからだ。
本書は、米、英、豪、独、イラン、ハンガリーなど、7か国・25名の高校3年生との対話がベースになっている。サブタイトルは「世界のスクールライフにみるやわらかな学校文化」。長い。連載からお世話してくれた兼弘陽子さんのアイディアだったと思うが、そのぶん内容をよく表している。
クロスカルチャーを生きる体験は、マイノリティーになる体験である。楽しいことばかりではない。ことばの習得にしろ、人間関係にしろ、いろいろな壁に否応なくぶつかるから、ある種のサバイバル体験でもある。
おとなだって、気持ちが弱っているとき、ひとの親切がこころにしみる。異文化に投げこまれて感性がするどくなっている子どもたちの場合は、ましてそうだ。だから帰国生は、自分をあたたかく受け入れてくれた教師の存在を、忘れない。
学活のかかり決めのときに、積極的に名乗りをあげようとしたら「すこしは他人のことを考えなさい」といきなり先生にほっぺたを叩かれたシカゴ帰りの小学2年生、ソウルの小学校で日本の滞在経験をからかわれたり非難されたりし続けた韓国人の帰国生、彼らは自分が経験したことの意味を高校生になったいまも問い続けている。
さまざまな出会いを反芻して人生の物語がつくられる。18歳には18歳の人生がある。一人ひとりの小さな物語がイメージとしてよりあわさるとき、それが合流して、やがて大河のように大きな物語の流れが形成される。その流れを、ひとまず“やわらかな学校文化”と定義してみた。
『学校の居心地』は、第1章・生徒が描く教師像、第2章・学校でのマナーとルール、第3章・マイノリティーとしての私、第4章・カウンセラーのいる学校生活、第5章・スクール・コミュニティー、第6章・やわらかな学校文化のために、という構成だ。
『海外帰国生』(1990年)の獲得型授業論と『学校の居心地 世界と日本』(2000年)の学校文化論の間には、10年の時間のひらきがある。ただ、どちらも帰国生の海外体験から生まれたという意味で、一対のものだ。獲得型の学びが花ひらく土壌がどういう性格をもつものなのか、それをさぐっていくとやわらかな学校文化の問題がうかびあがる、両者はそういう関係になっている。