大塚久雄先生と静謐な空間(4)

大塚先生のどの講義も刺激的だが、うけた影響の大きさからいえば「文化変動論としてカリスマ論」(1981年秋学期)がまっさきにうかぶ。1977年の論考「力と権威」(『生活の貧しさと心の貧しさ』所収)を発展させた大学院の講義である。

無茶を承知で要約すると、以下のようになる。もっともすぐれた文化変動論がM.ヴェーバーのカリスマ論である。土地封建制、身分制家産国家などにみられるヨーロッパの「伝統的支配」が、法秩序にもとづく近代の「合法的支配」へと変化してゆくときに、「カリスマ的支配」がこれらとからまりあいながら構造変動をおこしていく。ただし、三つの純粋な類型のあいだの関係は流動的で、いつでも純粋な類型が組み合わせられたものとして現れる。

大塚先生と -OBの集まり「フライデーの会」で

ヴェーバーのいうカリスマは、神が与えた非日常的な資質、力(恩寵の賜物)のことだが、その妥当性を決定するものは、被支配者による自由な承認である。軍事ではナポレオン、ジンギス汗、源義経などが、芸術ではゲーテなどのカリスマ保持者(トレーガ-)があげられる。とりわけ宗教的カリスマが重要で、前説にとらわれない行動により、人々のもつ「正統性の意識」を変革する預言者が、社会関係をその内側から変えていくのがみられる。

カリスマが日常化するとき、もともともっていた革命的な性格を失い、しばしば保守的性格をもつ反対物に転化する。真正・純粋カリスマから日常カリスマへの変化ということだが、社会学的にはこの日常化されたカリスマが重要である。

大塚さんはここで、ヨーロッパのみならず日本の支配構造の特質をも論じている。血縁カリスマの根強い影響がそれである。天武天皇以降、後継天皇を決定する制度がないために、激しい殺戮が続き、ついには天武系が根絶やしになったこと、その後、寝業師としての藤原氏の支配が日本の政治の性格をきめたこと、その影響が昭和になるまで続いたこと、を指摘する。引例は、神話のヤマトタケルの兄殺しから現代の家元制度にまで及んだ。さらには、明治以降の家産官僚とカリスマ教育とのつながりを、湯島の昌平黌から帝国大学設立の流れで説明している。

わたしの知るかぎり、講義のなかで、大塚さんがこれほど日本の歴史にふみこんで言及したことはない。自在な語り口、内容の振幅の大きさをふくめて、大塚さんの講義の一つの頂点ではないかとさえ感じる。

この講義から受けた直接の影響が二つある。一つは、“文化変動の最初の一撃を与えるもの”としての真正カリスマ・トレーガーの概念にふれたことだ。これに触発されて、のちにルソーの立法者論「政治制度の創出と人間性の変革」を書いた。

もう一つは、ヴェーバーの類型論、とりわけ三つの純粋な類型の間にうまれるダイナミズムというアイディアにふれたことだ。1990年に提起することになる獲得型授業、知識注入型授業という理念型の種子となるものが、わたしの内部にまかれたのである。これについては、のちに言及する。

亡くなった小室直樹さん(評論家、東京工業大学世界文明センター特任教授)もこの講義をきいている。「ソビエト帝国の崩壊」「アメリカの逆襲」をだして間もないころだ。最前列に陣取り、ノートをとりながらテープレコーダーも操作するから、テープ交換のたびに、小室さんが気忙しくビニール包装をやぶる「バリバリッ」という音が静かな教室にひびいた。

あのテープはどうなったのだろう。機会があれば、もういちど聴いてみたいのだが。

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