保立道久氏の講演-神話世界と演劇的知

週末にきいたICUの先輩・保立道久先生(東京大学史料編纂所教授)の講演を反芻している。獲得研レクチャーシリーズの3回目。タイトルは「神話をどう語り、どう教えるか-地震・火山神話を中心に-」。東日本大震災のインパクトをうけて書かれた『歴史のなかの大地動乱-奈良・平安朝の地震と天皇』(岩波新書)の第4章「神話の神々から祟り神へ」がベースである。

保立道久さんは、神話をどう考え、どう教えるかは、日本の学術と文化にとって最大の問題のひとつだという。そのうえで三つのことを提案する。それは、①国家神道と神話・宗教を区別すること、②神話の自然観に照応しうる自然観をもつこと、③「神道」のもつ「忌み」の思想の復権をはかること、である。忌みは、9世紀が神話の中から抽出した思想であり、自然の意識的保存の装置だともいっている。

細部がまた面白い。「古事記」では、雷電、地震、噴火をつかさどる災害の神が三位一体であること。この時代が、たびかさなる地震、温暖化、パンデミックに遭遇しその困難を乗り越えた時代であること。王権内部の激しい抗争(「ハムレットが10回おこったようなもの」)のなかで敗北者が祟り神となり、また村落共同体が敗北者を祀ることで権力への抵抗の根拠にしたこと、などが重層的にかたられるからだ。

生家の「龍」 鶴見総持寺独住四世・石川素童の書

神が仏に帰依するかたちで本地垂迹説がうまれ、三位一体の自然神が「龍」というシンボルに形象化されて水神や疫病をくいつくす存在になっていく、という紹介もあった。

中村雄二郎が、コスモロジー、シンボリズム、パフォーマンスを統合する原理が演劇的知だといったが、今回の講演では日本神話のコスモロジーが重要な素材となっている。わたしの概念構成でいえば演劇的知の「表象」レベルの内実そのものにかかわってくる。

同時に、日本の自然認識の一部として神話をよみとき、自然科学による国土論とあわせて、国土イメージを形成するときの手がかりにするという保立さんの着想は、現代人の自然観・教養の問題としても重要である。村上陽一郎さんが、現代の教養を科学リテラシーとして提起していることにも通じるだろう。考えるべきことは多い。

『歴史のなかの大地動乱』は、地震学の最新成果と歴史学のそれがスパークすることで生まれたもので、いわば研究における文理融合の成果である。こうした研究の異文化交流は、保立さん自身の認識も変容させているようだ。たとえば著者紹介で、専攻を「日本中世史」ではなくあえて「歴史学」としているのは、学問としての歴史学の社会的役割にたいする内省からきたことではないか、と思えるからである。

コメントは停止中です。