備前の花入-妻の教訓

結婚してこのかた、食卓でもっとも活躍している器は、宝相華唐草が陽刻された紺色の中皿である。大学2年生のころ、吉祥寺・チェリナードの真ん中にあった焼物屋でみつけた。店先にうず高くつまれていたものだから、たしか1枚200円だったとおもう。

古民具にかこまれて育ったせいだろうか。柳宗悦の民芸論に共鳴し、20代から工芸品をよくみてあるいた。焼物も茶陶というより、まず日用雑器ということになる。ただ、理屈からはいっているぶん、使い勝手は二の次で、銅鑼鉢、粉引、三島手など、器形や技法を優先してしまう。使われないまま押し入れ直行というケースもしばしばだ。

なかでも備前焼への関心がながくつづいている。ご縁があって岡山県の学校を毎年のように訪問するからだ。岡山駅東口に桃太郎大通りと並行してはしる地味な商店街がある。その商店街をではずれたところにあった「陶芸センター・あさくら」をよくのぞいた。若手から老大家のものまで、幅広く品ぞろえされているから、新傾向の作品があるとつい手がでてしまう。

先日かぞえてみたら、まったく使われない備前焼が花器、酒器を中心に十数点ある。ただ、毎年登場する器もひとつだけある。耳付の花入である。

結婚したばかりのころ、岡山大学で学会があった。ついでに伊部に足をのばし、作家のSさんに電話して窯場と展示場をみせてもらった。どちらかといえば地味な作家だが、ろくろがうまく外連味のない作品をつくる。なぜか大ぶりの花入に目がとまった。正面は牡丹餅を配してつくりこんだ意匠、裏は降灰をたっぷりあびた自然な表情だから、片身代わりでも使える。

大きな荷物をかかえて家にもどると妻の顔色がかわった。いくらかでも余裕をもって出張させたいと、月末の乏しい家計をきりつめて工面したいわば内助の功の結晶を、能天気な夫がことごとく消尽したのだ。だいいち、狭い新居のどこにも、こんな壺をかざる空間などないのである。居心地悪げにしばらく勉強机に鎮座したあと、何年も押し入れの奥にしまいこまれた。

この事件から妻は「夫に余分な金をもたせてはいけない」という教訓を引き出したようだ。いまの家に引っ越してから、ようやく花入の出番がきた。松、菊、そして赤い実をつけた千両を投げ込んだ壺が、正月の床の間飾りにつかわれるようになったのだ。

ただ、年頭にあたって、妻が自分の教訓を確認するためにくだんの壺をつかっているのではないか、と秘かに疑っている。

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