月別アーカイブ: 8月 2012

エディンバラ・フェスティバル

シャルルドゴール空港から2時間でエディンバラについた。33年ぶりだが、意外なことに、町の印象が若いころうけたのとそれほど違わない。

ホテルの窓から市街をのぞむ

この30年でいちばん変ったのはどこかとご当地生まれのタクシー・ドライバーにきいたら、初老の彼が少し考えてから、大きなビルが増えたことではないか、といった。「ほかのまちのことは知らないが、50万人はほどよい規模だし、空港に送迎するお客たちもいいまちだというからきっとそうなんだと思う」と続ける。そうきいて、新市街にあるホテルの窓から周辺を一望してみるが、いわゆる高い建物というのはみあたらない。

寒さも相変わらずで、街ゆく人はおしなべて黒っぽい防寒具をきている。前回は、エディンバラ大学の寮でヒーターをつけて眠ったが、今回も冷たい雨続きである。

旧市街を歩いていたら、雷鳴とともに雹のまじった豪雨がきた。雨宿りした店先のトラックの屋根が真っ白に水しぶきをあげる。荷台では、坊主頭にジャンパーの若者がビール樽をうごかしながら「これがスコットランドだ」とこちらにむかって叫ぶ。10分ほどたつと、嘘のような小雨になった。

ホテルでも、大学でも、パブでも人々は飾り気なく親切である。目立って変ったのは、中国の観光客と中国語のガイド・ツアーがふえたことだろうか。

雨のなかでも入場券をもとめる列が

さすがは数十万人をあつめるエディンバラ・フェスティバル。無料で配布している「フリンジ」の冊子が300ページ(A4判)あり、そのうち140ページ分がコメディーだ。

私は「インターナショナル・フェスティバル」の冊子で、「ジュリアード・ダンス」を選び、それをエディンバラ・プレイハウスでみた。ニューヨークからきた20人ほどのジュリアードの学生が、よく訓練された切れの良い動きをみせる。

めだつのは年配者わけても女性の観客である。前列にオックスフォードの学生がいて、彼の場合はいかにも両親につきあっています、というクールな雰囲気をただよわせている。この日の観客は、おそらくロンドンの劇場にストレート・プレイをみにくる観客の年齢層にちかいはずだが、芝居のときとは反応がちがい、会場は熱狂の渦である。

週があけたら、フェスティバルは一気に片付けモードになった。断続的な雨のなかでおこなわれる作業に“祭りのあと”の風情がある。街角のフェンスや壁に整然と貼られたポスターが撤去され、ジョージアン朝の住宅が並ぶシャルロッテ・スクウェア、エディンバラ大学の建物がかこむジョージ・スクウェアの仮設テントも解体された。

列車でロンドンのいつもの宿にくるのに5時間以上かかった。やはり遠いまちである。それでもエディンバラの印象が33年前とさして変わらないのは、町そのものの変化よりも、この間の私自身の内面の変化の方がずっと大きかったからではないか、と思えてくる。

M.ウェーバー『職業としての学問』を読む

シャルルドゴール空港からエディンバラへむかう

尾高邦雄訳の『職業としての学問』(岩波文庫)をいくどとなく読んだが、愛読書という表現はあたらない。ICU高校にいたころ、3年生対象の講読クラスで、20年近く、テキストにしていたものだからだ。

社会科学系の学部・学科に進学がきまった生徒のなかの希望者を対象に、卒業式が近づく1月から2月にかけて読む。多い年で45人ほどの生徒が、ラウンドテーブルをつくった。全員が毎回レジュメを準備するのは、ICUで佐竹さんがやっていた方式である。

このクラスをはじめたばかりのころ、欲張ってルソーの『学問芸術論』や福沢諭吉の『学問のすゝめ』などとセットにして読んだが、いつ頃からだったか、この本の1ページ1ページをじっくりたどるやり方にかえた。

ヴェーバー最晩年の講演とあって、学問の職分、主知主義的合理化、目的合理主義と価値合理主義、知性の犠牲、明確さなどの重要な概念が、たった66ページの本文にびっしり詰まっている。それだけでなく、語り口そのものに不思議な熱がある。読みとおすには、戦間期ドイツの政治状況はもちろん欧米の精神的伝統について一通りの知識が必要だから、けっしてやさしい本ではない。

ヴェーバー自身が「学問上の諸問題を、頭はあるが未訓練の人々に理解させ、かつこれらの問題をみずから考えていくように解説するということは、おそらくもっとも困難な課題であろう」(20頁)といっているが、このゼミに関する限り、途中で脱落したものがいたという記憶がないから、生徒たちはよくついてきたと思う。

この本には万華鏡のような輝きがあり、読み返すたびに何かしら新しい発見がある。だから、教えるために読んでいたはずの私自身が、知らず知らずのうちに本の影響を受けてしまっている。それがわかるのは、何かのおりに本文の一節がふっと頭をよぎるからである。例えば「こんにち、究極かつもっとも崇高なさまざまな価値は、ことごとく公の舞台から引きしりぞき、あるいは神秘的な生活の隠された世界のなかに、あるいは人々の直接的な交わりにおける人間愛のなかに、その姿を没しさっている。これは、われわれの…時代の宿命である」(71-72頁)といったようなことばである。読書とは、げに恐ろしいものだ。

パリからエディンバラに移動する小さな飛行機のなかで、眼下にひろがる真っ白な雲の海をみながら、きいろく変色した『職業としての学問』をパラパラめくっていると、隣の席では、真っ赤なTシャツに黒ぶちメガネの若者が、ふきだしにフランス語のせりふがはいった高橋留美子の漫画を、携帯型タブレットで、一心不乱によんでいた。

雲海のしたにエディンバラの町があらわれる

パリの初秋-森有正の通勤路

森有正の「パリの冬とその街」(『木々は光を浴びて』所収)は、「私はパリの町を歩くのが好きだ」という文章ではじまる。森さんが、休日に、自宅のあるセーヌ左岸のグラン・ドクレ街からサンジェルマン大通りにでて、リール街にある勤務先の東洋語学校まで、25分ほどの道のりを歩く。そのおりの様子が、ちょっとした小路のたたずまいも含めてきめ細やかに報告されている。「毎日毎日同じところを往復する動物か鳥のように同じ散歩を十年も繰り返していても少しも飽きるということがない」のだという。

森さんが通ったみち

この文章がずっと気になっていたものだから、今日は地図を片手に、同じ道をたどってみた。なにしろ40年前の沿道のスケッチである。当然のこと、森さんの文章にでてくる街並みはすっかり変わってしまっている。それでも通勤路の距離感を味わい、往時の様子を想像することができた。

いま滞在しているホテルは、オペラ座のほど近くにある。ホテルが面するオスマン通りは、森さんの往復したサンジェルマン大通りと同じで、プラタナスの並木がどこまでもつづくゆったり広い通りである。

8月14日に猛暑のパリについてからずっと、ホテルの周辺には、サンダルでぺたぺた歩きの観光客があふれていた。しかし、8月20日から3日ほどストラスブールで過ごしてパリにもどると、あたりの空気がすっかり変っている。

プラタナスの黄葉が一気にすすみ、朝夕の風がひんやりしてきた。もっと驚いたのは、ネクタイに革靴のビジネスマンやハイヒールの女性が、昼時のカフェを占拠していたことである。この人たちは、歩くスピードも速ければ、姿勢も颯爽としている。なにか目的をもってあるいている、という雰囲気なのだ。まるでどこかの違う町に戻ってきたような具合である。

そんなことを考えながら、オデオン広場のカフェで雨をさけ、ぼんやり外をながめていたら、森さんが例のうつむき加減の歩き方で、サンジェルマン通りの落ち葉を踏んで足早に歩いてくるような気がした。

ロダン美術館の空

TACT2012のあかり座公演

8月10日に、獲得研が「ドラマで楽しむ異文化学習―日本とドイツ―」(大阪市立阿倍野区民センター 集会室1)と題するワークショップをした。TACT(国際児童青少年芸術フェスティバル)の一環で、海外の劇団との最初のコラボレーションである。

TACTのあかり座公演は、去年についで2回目。相手のマイニンゲン劇団は「町の中に劇場があるというより、劇場に町がついている」といわれるマイニンゲン劇場所属の劇団だ。(URL:http://www.das-meininger-theater.de/ )

アンデルセン「スズの兵隊」をもって来日した。劇場内にその場で巨大なエアードームを出現させ、そこに観客を招じ入れると、動く影絵や映像などさまざまな技法を駆使してアンデルセンの世界をつくりだす。案内役のステファン・ウェイさんやバレーダンサーの身体性が素晴らしい。

会場は地下鉄谷町線・阿倍野駅のそばにある

今回は、獲得研が海外のカンパニーと交流したらなにが生まれるのかというチャレンジだが、どんな形式のコラボにするのか、どんなコンテンツを盛り込むのか、それを模索するプロセス自体が刺激的だった。プログラムは、2回の例会で知恵をだしあい、それをもとに磨き上げたもの。

午後5時から8時のプログラム。日独・各70分のワークショップ、30分の振り返り。これで3時間の予定。会場の広さにぴったりの30人ほどのメンバー。前半は、獲得研の4人(小菅望美、宮崎充治、藤井洋武、林博久さん)が担当し、ウォームアップと日独共通の「ことわざ」を使ったシーンづくり。6人グループでやる。後半はウェイさん(俳優)担当。身体を活性化する、感覚を研ぎ澄ます、影絵の活用という3部構成で、俳優トレーニングのアクティビティを披露する。

「早起きは三文のとく」「類は友を呼ぶ」などのシーンづくり。「楽あれば苦あり」は、ドイツ・バージョンになると愛のあとに苦しみがある、という意味だそうで、そのずれを確認する作業が文化交流そのものになる。また、ウェイさんのプログラムには「(指先を合わせた)ブラインドウォーク」「人間と鏡」「トラスト・ゲーム」など獲得研でおなじみのものもあり、演劇と教育という文脈の違いが、組み立て方の違いになってあらわれるところが面白い。

あかり座地方公演はいつもにぎやかだが、今回も、首都圏の会員・院生11人、武田富美子さん(立命館大学)、渡辺貴裕さん(帝塚山大学)たち関西圏の会員、オーストラリア在住の会員・藤光由子さん、協力関係にある大阪・応用ドラマ教育研究会(代表:田中龍三・大阪教育大学教授)のメンバー、孫エンさん(関西学院大・院生)、ゲーテ・インスティチュート・ミュンヘン本部のトーマス・シュテュンプさんなどの参加をえて、陽気な交流の場になった。

 

第35回 ICU教育セミナー

会場は本部棟の2階

8月2-3日に、ICUのキャンパスで開かれたICU教育セミナーの全プログラムに参加した。猛暑のなか、大学の1期生から現役の学部生まで67名がエントリーしている。参加者の主力はICUを卒業した中高の教員である。

町田健一教授(比較教育メジャー)を中心とする運営委員会のプログラムが素晴らしい。旧ファカルティの刺激的な講演が2本あり、自分が育ってきた学問風土を確認するいい機会になった。

村上陽一郎先生(東洋英和大学学長)「学校教育とリベラルアーツ」は、大学と学問の創生を、イベリア半島のレコンキスタから説き起こす壮大なもの。村上さんは、一部の例外を除いて、日本の大学の教養教育は破たんした。それにもかかわらず、新しい教養―成熟した市民がもつ賢慮―はやはり必要なのだ、という。

風間晴子先生(女子学院長)「リベラルアーツ教育における科学教育の意義」は、多くの図版・画像それにビー玉まで駆使して、われわれの知覚がいかに騙されるかを実証する。そして、自らの問いを問いつづけること、現象を統合的に把握する力・真実を見極める分析力をもって、騙されないように生きることがわれわれの責務なのだ、という。

私は初海茂さん(獲得研事務局長)とワークショップ「ドラマ技法・ウォーミングアップ技法を授業に活かす」をやらせてもらった。時間にして1時間半ほど。長く一緒にやっているのに、2人で組むのは初めて。参加者の動きの柔らかいこと、質問の活発なことにビックリ。なかなかお目にかかれない集まりである。

優に60年を超える年齢幅の人たちが闊達にディスカッションするセミナーに参加して、ここにもICUの学校文化が息づいているなあ、とあらためて感じた。

大塚久雄先生と静謐な空間 (2)

教室のある本館1階の廊下

1980年にICU高校に移ってから、私が真っ先にしたのは、大塚久雄先生(西洋経済史)の講義にでることだ。もちろん経済史の学び直しという意味もあるが、自分が教える立場になったこともあり、授業者としての大塚さんにふれたいと思ったのだ。そういう目でみると、講義の受けとめ方も以前とちがってくる。ちなみに、長幸男氏は「大塚先生の講義は知的興奮であると共に高座の名人の講釈のように楽しくさえあった」と追悼文で書いている。(「朝日新聞」1996年7月11日付)

教室は本館一階にある。廊下の腰壁に花崗岩を貼ったこの建物は、もともと中島飛行機の中央研究所だったそうで、幻の特攻機といわれた剣がここで開発されている。そのうす暗い廊下を、羽織袴の大塚さんが助手の梅津順一さん(青山学院大学教授)と歩いてくる。

教室―備品はかわっても雰囲気は残っている

教室に入ると、両手の松葉杖を大きな教卓の傍らにおき、木製の固い椅子に腰をおろす。そして持参した1冊の本を右手奥におしやるようにおく。講義ノートをもたず、持参の本をひらくこともないから、それがどこか儀式のような趣になる。教室をひとあたり見わたしたあと、学生の顔をみながら、いつものゆったりしたリズムで話しはじめる。

大塚さんの講義は、話したことがそのまま文章になるくらい周到に構成された語りの世界である。だから1時間の講義がおわると、あたかも歴史の時間と空間を旅してきたかのような、心地よい疲れが残る。1979年に出版された『歴史と現代』(朝日選書143)の第1部が、当時の語り口の妙をよく伝えている。スペイン、オランダ、イギリスの歴史的盛衰を相互に影響しあう大きなうねりとして描いたものである。

教育研究棟の1階に研究室がある

こうした講義にはなみなみならぬ準備が必要だから、それが70代になった大塚さんの体力をひどく消耗させる。あくる日は終日ベッドに横たわっているのだという。研究室でのおしゃべりで、その様子が少しずつわかってきた。2日目から、次のプロットを考えるが、その作業はすでに早朝のうつらうつらした状態からはじまっている。一見して平明にさえみえる大塚さんの講義は、それだけの準備と熟成のすえに生まれるものだった。

大塚さんの講義からうけたインパクトについて、2001年につぎのように書いたことがある。

「5年間におよぶ聴講体験を通じて、優れた講義というものが、聞き手の内部で眠っている知識を刺激し、知識と知識の間につながりを与え、構造化し、豊かなイメージを伴って内的世界を押し広げる力をもっていることを実感した。

わけても印象的だったのは、聞き手のイメージを喚起する引例や挿話の力である。巧みな引例や挿話は、たんなる例示を超えた意味をもっている。事実の群れの中から注意深く選ばれ、固有の文脈の中に適切に配置された事例というものは、イメージの飛躍を助けるスプリング・ボードの役割を果たすものである。それはあたかも、現象世界を分析するためのキー・コンセプト(鍵概念)が頭の中に徐々に結晶化していく過程で、その触媒の働きをするかのごとくである」。(「教育における演劇的知」224-225頁)

講義の後、いつも数人が大塚さんとのおしゃべりに同席する。だから私には、大塚さんの講義と研究室での座談がセットになった一日である。こうした刺激をうけながら、獲得型授業論の成立にむけた準備が、私のなかでごくゆっくり整っていくことになる。