渡辺保男先生と古畑和孝先生

ドクター・コースに進むとき、ICUに3回目の入学金を払った。後日、渡辺保男教授(政治学・行政学)に「博士前期課程から後期課程にいくのに、入学金をはらう必要があるんですかねえ」と苦情をいった。ICUは「アドバイザー=アドバイジー」制度をとっていて、渡辺さんは、私が学部に入ったときからのアドバイザーだ。

しばらくして「淳くん、入学金のことだけどさあ、あれは払わなくてもよくなったよ」と知らせてくれた。黒縁メガネに黒っぽい三つ揃いのダンディだが、ちょっとべらんめいなところがある。対応の早さに感心していると「でも、いったん納めたものは返せないそうだから、あきらめるしかないね」と続ける。こうして、GSPAに3回目の入学金を払った人という希少な存在になった。

1980年から、私の関心は急速に教育実践の研究に傾斜していく。ICU高校に移って「帰国生ショック」の洗礼を受けたのが引き金である。日本大学に移るまでに6つの大学で非常勤講師をしたが、ルーテル学院大学の「近代思想の源泉Ⅰ,Ⅱ」を例外として、すべて教育学関係の科目である。

大学で教えるきっかけを、1990年の春に渡辺さんがつくってくれた。学長室を訪ねたら「きみもそろそろ大学で教えた方がいいね」といった。そうはいっても、国際教育のポストなどほとんどない時代である。ただ、東京大学の古畑和孝教授(社会心理学)なら、私の問題関心を理解してくれるだろう、という

おそるおそる東京大学文学部の研究室をノックすると、古畑さんが椅子からすっくと立ちあがった。まっすぐ目をみて明瞭な発声で話す紳士である。初対面の私に、研究者としての自身の歩みを1時間かけて話してくれる。古畑さんは、法学部コースから一人はずれて新設の教育学部に進んだ人だ。文学部社会心理学専修課程の独立とともに招聘され、10年かけて文Ⅲの中の人気コースにまで育てている。その開拓的な歩みを語ることで、まだ先の見えていない私の研究を鼓舞してくれたのだ。

翌々年、古畑さんは東大を退官して帝京大学に移る。その前から沖永荘一総長になんどもじか談判して、非常勤講師着任の可能性をさぐり、とうとう2年越しで留学生別科にたどり着いた。総長じきじきの指名とあって、別科のスタッフは、一体なにごとが起こったのかといぶかったらしい。

留学生別科の4年間が、新しい異文化体験だった。中級「日本語読解」で、佐和隆光「豊かさのゆくえ―21世紀の日本」(岩波ジュニア新書)を読みディスカッションするなかで、アジアの留学生たちの生活と意見にじかに触れたのだ。それが『国際感覚ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)に反映されている。

たった一人の後進にチャンスを与えるために、ここまで努力と知恵を傾注できるものなのか。この間の経緯を思いだすたびに、両先生のおたがいにたいする信頼の厚さを思い、また深い感謝の念を禁じ得ないのである。

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