辻清明先生と民主主義

大学に入学してはじめて買った本の一冊が、辻清明『政治を考える指標』(1960年 岩波新書)である。赤鉛筆で傍線を引きながら読んだその本の著者が、大学院の指導教授になった。

『新版:日本官僚制の研究』(1969年 東大出版会)で知られる辻清明先生は、1913(大正2)年生まれ。1974年に東京大学法学部を退官してICUに着任する。長身の先生が、薄い抱えカバンをわきにはさんで教室に現れる。中高の顔立ちに丸縁のメガネ、襟元のつまったグレーのスーツ、その風貌は私たちがおもいえがく学者の姿そのままである。机に広げたノートを見ながら淡々と講義がすすむ。

講義のあとおしゃべりの輪ができた。穏やかな語り口に独特の諧謔味があるのだが、その味わいは、辻さんの文章からも感じられる。たとえば「公職私有観」を、こんなふうに説明する。「山内一豊の妻が、公務で夫の用いる馬匹の費用を、みずからの持参金でまかなったという逸話は、行政官と行政手段の分離が存していなかった事実を語るものであろう。今日の役所において、いかにヘソクリの巧みな公務員の夫人といえども、官庁用の自動車を、夫の成功のために私費で調達することはおそらく不可能でもあるし、またそのように考えること自体がこっけいでもある」。(新書118-119頁)

この本で辻さんは、二大政党制ではなく多党制が、小選挙区制ではなく比例代表制が日本にとって望ましい、としている。国民の自発性を尊重せず、利益の多元性をおさえるために抽象的な国家観念を乱用し、野党の意義を認める統合の原理を理解しない。そうした保守政治にたいする批判は、民主党と自民党のいまをも予見するものである。

研究室のおしゃべりで、こんなことをいった。「民主主義といえば、制度や思想として語られることが多い。だが、もっと手続き(procedure)の重要さに目を向ける必要がある」。辻さんは、システムの運用を通じてこそ民主主義が具体的なかたちで定着していく、というのだ。この言葉が、大きなヒントになった。

私は政経・倫理の教師として民主主義の制度と思想を講じている。しかし、果たしてそれで十分なのか、どうやって民主主義を実体化できるのか、という問いが生まれたのだ。この問いが、帰国生の教育体験、M.ヴェーバーの理念型の概念とむすびつき、やがて獲得型授業論に結実することになる。

大学院生と高校教師、二束のわらじをはいて修士論文に取り組んだ。タイトルは「J.-J.ルソーにおける政治制度論の展開 ―『社会契約論』と『コルシカ憲法草案』を中心に-」。「草案」にかんする先行研究が少なくて難渋したが、「契約論」の原理を「草案」でどう適用したかという枠組みをたて、その特質を分析した。

1977年の夏に、コルシカ島を訪問したのが、風土のイメージ形成に役立った。ルソー本人が望んでかなわなかった旅である。トゥーロンから船でコルシカ島にわたり、アジャクシオからバスティアを鉄道で横断、イタリアのリヴォルノに上陸するコースにした。ナポレオンを輩出したことで知られる島だが、2両編成の小さな列車が、2千メートル級の山なみに分け入ると、たちまち荒涼とした風景になる。むき出しの岩山、緑のあいだに顔をのぞかせる赤い岩肌。沿線の小さな耕地にはトマトとトウモロコシ、駅という駅はほとんど無人である。メリメの「マテオ・ファルコーネ」の世界を髣髴させる。

思想史が専門ではないから、内容は私のやりたいことでよい、ということだった。そのかわり文章の論理性には厳格で、もっていった原稿にその場で朱を入れる。それは論文の完成度をあげるというレベルの指導だから、限りなく完成稿に近いものを持っていく必要がある。だから、辻先生の指導は、武田清子先生とは別の意味で厳しいものだ。

この年、GSPAの博士課程にすすんだ院生は、私をふくめて3人である。

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