卒業論文

卒業論文で、自由と平等の原理的関係について考察したいと思った。素材は「学問芸術論」から「社会契約論」にいたるルソーの諸作品である。当時、ICUに西洋政治思想史の専任スタッフがおらず、武田清子先生に指導を引き受けていただいた。

武田先生は指導の厳しさで知られている。平田オリザ氏が「武田先生の指導は本当に厳格で、適当な発表をすると厳しい叱責を受ける。発表後に注意を受け、泣き出してしまった大学院生もいた」(『地図を創る旅』白水社)と書いている。

ただ、叱られた記憶はない。2週間に一回、本館の研究室を訪ね、書き上げた分を見ていただく。論理構成、文章の正確さ、引用の仕方など具体的に指摘されたが、論点が深まらないときは「面白くないわね」とはっきり言われるから、これが良かった。

しかし、いかんせん研究対象が大きすぎる。高校時代から親しんできたルソーとはいえ、論文の対象にするとなれば話は別である。作品解釈の多様性はもちろん、研究の蓄積も膨大である。70年代に限っても、みすず書房からスタロバンスキー『透明と障害』、カッシラー『ジャン・ジャック・ルソー問題』、バーリン『自由論』などの新訳がつぎつぎでたし、岩波書店からは京大人文研の『ルソー論集』、杉原泰雄『国民主権の研究』、福田歓一『近代政治原理成立史序説』などの論考が陸続と出版されている。もちろん、啓蒙主義思想の系譜、市民革命史、日本での思想受容、現代政治理論などにも目配りが必要になる。

「これでは無理だ」とわかったから、卒業を延期することにした。一事が万事、私はこうした無茶な選択をするようにできているらしい。結局、ルソーの自由・平等観の特質を「平等主義的自由」と定義する論文「J.J.ルソーにおける平等思想の展開」を2年がかりで書き上げる。A4判192ページ(手書き・2分冊)ほどになった。

時間はかかったものの、思想史研究の面白さが実感できただけでなく、民主主義社会を支える市民像の解明という研究テーマも見えてきた。市民的資質、政治制度と人間形成の関係を具体的文脈で検討しようというのだ。そこで遅まきながら、腰を据えて研究者の道を目指すことにした。

ふり返ってみると、私のものの見方・考え方の基本がこの時期までに形成された。のちに政治思想史研究からより実践的な性格をもつ教育研究へとシフトするのだが、テーマそのものはこの卒業論文とつながっている。

 

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