日別アーカイブ: 2012/05/22

森有正と出発の意識

大学1年生の秋、ICU教会の祭壇にオーストリア・リーガー社製の大きなパイプオルガンが入ることになった。グリークラブの一員として献納式の演奏に加わったそのオルガンで、フランス在住の哲学者・森有正氏が練習をはじめる。噂では、毎朝5時半頃に起床してバッハを弾いているという。

朝食時間がわれわれ寮生とかさなるから、辻邦生さんが「森先生はうつむき加減にあるく」と書いているまさにそのとおりの姿勢で、足早に食堂に入ってくる。大柄な体躯で精力的に食事をする森さんの姿と、リリカルなタイトルの本の著者としてのイメージのギャップが面白かった。

ロータリーから教会をみる

学生寮のおしゃべりの会にきてくれたとき、「おやっ」と思ったことがある。靴下のかかとに穴があいていたからだ。ワイシャツの袖口もほつれている。いくら40年前とはいっても、さすがに靴下の穴は珍しい。その無頓着さを好ましく感じた。

木下順二さんが、弔文「森有正よ」(『展望』1976年12月号)で、若き日の部屋の乱雑さにふれている。本郷YMCAの自室で、たった一人しかいない指導学生の卒論を紛失してしまい、主任教授が大学に始末書をだしたというのだ。

まず影響をうけたのは出発の意識に関する文章だ。お父さんの納骨の一週間後、13歳の有正少年が、一人でもういちど多磨墓地にやってきて、こう決意したという。「僕は墓の土をみながら、僕もいつかかならずここに入るのだということを感じた。そしてその日まで、ここに入るために決定的にここにかえって来る日まで、ここから歩いていこうと思った。」(「バビロンの流れのほとりにて」筑摩書房)。それは、「その日からもう三十年、僕は歩いてきた。」(5頁)という文章に続く。森さんが、はるか遠くまで歩いていって戻ってくるプロセスそのものを人生だととらえたことに共感したのである。

森さんの文章が、ヨーロッパ文明にむきあう手がかりだった時期がある。にもかかわらず、読者としては実に勝手な読み方をしていた。「旅の空の下で」に大伝馬船がセーヌ川をさかのぼる話がある。流れに逆らってゆっくり上っているようにみえる船が、気がつくとずっと上流まで進んでいるという文章だ。森さんは船を見ている自分の側の「変貌」について語っている。だが、それを読んでいる私はといえば、水の流れに抗して進む伝馬船に自己の存在を仮託して、意志の持続というものを考えている。

船のスピードが遅いと感じるのは通常の時間感覚だが、内的な変貌はこの時間感覚よりもさらにゆっくり、しかも絶え間なく続いている。だから、一人の人間のなかの時間感覚のズレが、驚くほど遠くまでいったと感じさせるのだと解釈した。私がときどき感じる「ああ、こんなに遠くまできた。」という実感は、そうした変化の自覚である。この自覚は、出発の意識があってはじめて確かなものになる。それが変貌というものの姿ではないか、と漠然と感じていたのだ。

伝馬船の例にしてもノートルダム寺院のことにしても、森さんの文章には思索の手がかりがいくつもでてくる。それを表現する仕方も作品によってどんどん変化する。同じ経験についての叙述が、音楽のように転調するから、繰り返し読んでも対象を掴めたという実感がない。逆に読者の多様な解釈を誘発することが、古典の域に入る作品の条件のように思えたりもする。

私は森有正が形成する文化圏の脇を通っただけだから、ちっとも思想の本質を理解できたと思わない。しかし、森さんの思考が自分の感覚のなかに定着していることを感じる瞬間がこれまでいくらもあった。

森さんが亡くなった翌年、ルソーの旧跡をたずねてシャンベリーからレ・シャルメットに向かう田舎道をとぼとぼ歩いているときに「とうとうここまできてしまった。」と感じたこともそうだし、ブルゴーニュの山の上にある森閑とした広場で、ロマネスク教会のファサードを見上げながら、やはり同じように感じたとき、私は自分のなかにある森さんの影響を感じないわけにはいかなかった。