茂山千作さん(大蔵流狂言師 人間国宝)の芸の魅力については、いまさらいうまでもない。小柄なからだが舞台に登場するだけで圧倒的存在感を発揮する。その千作さんが、大・中・小の笑いを笑いわけるのを、目の前でみた。大きく開かれた口、ゆったりしたリズム、全身が笑いそのものになっている。ちょうど10年前の公開対談のおりだ。
対談の場所は、蛤御門のまえにある京都ガーデンパレス。宴会場の仮設舞台である。ある研究会で「狂言の身体と表現力」という講演をお願いしたのだが、「ひとりでしゃべるのはどうも。」ということで、急遽、対談形式になった。対談のプロットを書いたのは同志社高校の網谷正美先生(国語)である。ご自身がキャリア30年をこすプロの狂言師とあって、質問の内容がじつに行き届いている。
対談にさきだって打ち合わせに伺った。舞台やテレビは別として、じかにお目にかかるのは初めてである。京都御所近くにあるご自宅の応接間で対面した瞬間「あっ」と思った。ちょっと重心を低くして立つ姿が、狂言の姿そのものなのだ。
ことばでうまく表現できないが、そのとき私が感じたのは「生きた狂言がここにいる。」ということだ。このときの千作さんは83歳。芸歴はすでに80年を数えている。この日から、立ち姿の大切さについて考えるようになった。
対談当日、会場で意想外のことが起きた。羽織袴姿の千作さんが、扉のすぐ内側のジュータンの上で草履を脱いだのだ。しかも、そのまま舞台にむかって真っすぐ歩きだすではないか。千作さんは、もう橋懸りをゆく舞台人の顔になっている。
私はあっけにとられ、靴を脱ぐタイミングを失したまま千作さんについていく。黄門様のあとを小走りでおいかける“うっかり八兵衛”のようなものだ。「やはり靴を脱いだほうがいいですね。」と半歩後ろから小さく声をかけると、千作さんがまっすぐ前をむいたまま、低い声で「ハイ」と一言いった。なんとも間抜けな質問をしたものだ。
私は千作さんの講演を支える助演者たるべきだったのだが、心の準備が十分でなかった。その日の私の服装はといえば、ジャケットにハイネックのシャツ、とうぜん靴下をはいている。対談のおりの写真をみるたびに「それにしても舞台で靴下はさまにならない。」と思うのである。