中学校で「萩大名」を演じる

演劇的手法にかかわる本をいくつか書いたし、ふだんから芝居にふれる機会も多いが、かといって演劇部にいたことはない。ただ、何かしら人前で演じてきた記憶がある。

それは小学校時代にはじまる。学芸会が最大行事のひとつとあって、村中の老若男女が体育館につめかけ、それは賑やかなものだった。1年生のとき「おだんごころころ」のお地蔵さんに指名された。上手から下手に、ドッジボール大につくられただんごが坂をころがり落ちてくる。あたりをみまわした私が、壇をおりてそれを食べ、村人がくる前にそ知らぬ顔でもとのお地蔵さんのポーズにおさまる。その瞬間、客席がどっと湧き、どよめきが波動になって舞台に伝わってきた。これが演技の面白さに開眼した瞬間だったように思う。

中学校のとき狂言「萩大名」の全校上演があり、ここでは無教養な大名の役に指名された。無聊をなぐさめるべく庭園見物にいく大名が、庭の主人に感想をもとめられたときの用意に和歌を習う話だ。太郎冠者が教えたのは「七重八重 九重とこそ思ひしに 十重咲きいずる 萩の花かな」というもの。これが覚えられない。苦肉の策で、太郎冠者がサインを送り、それをたよりに一区切りごとに詠み進めるが、それすらうまくいかない。とうとう太郎冠者がさじを投げる。庭にひとり取り残された大名が、「萩の花かな」を「太郎冠者のむこうずね」と詠んで恥をかくところが見せ場になる。

この大名はしどころのある役柄で楽しかった。演出は国語のK先生。大名の衣装は家庭科の先生がわざわざ縫ってくれたのだが、太郎冠者のきる裃だけはわが家の土蔵からひっぱりだした古着で代用することになった。太郎冠者を演じるMくんは、高校ラグビーで全国大会に出場したつわもの。いかつい体型である。はたして彼の衣装として、布地の草臥れた江戸時代の裃がほんとうに役立ったのかどうか、そのあたりの記憶が定かではない。

こう見てくると、意図してそうしたのではないにしろ、観客のまえで歌ったり演じたりする機会が意外に多かったことに気づく。私が好きなのは創造的で心地よいアンサンブルが創りだされる瞬間だ。だから、そのプロセスに参加すること自体がまたなんとも楽しいのである。

と、ここまで書いて妻にみせたところ、「ただ目立ちたがりで、喝采を浴びたのが嬉しかっただけじゃないの。」と一蹴して去って行った。

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