きのうの運営委員会でこのブログが話題になった。ゆるさ加減がちょうど良いという意見から、もっとはじけて欲しいというものまで、コメントに幅がある。アップの仕方については、文章を小分けにして続き物にしたら、ケータイでも読みやすいし回数も稼げるのでは、というアドバイスも頂戴した。参考にさせていただきます。
半年近く雪にふりこめられる生活がやっかいだというのは確かだが、子どもはどんなところでも楽しみをみいだして暮らしている。また雪との暮らしが、北国の子ども特有の身体性を生んでいるように思う。
私の村の冬のスポーツの代表がスキー、そして相撲だった。秋田はとりわけ相撲の盛んな土地柄で、村には草相撲の力士がたくさんおり見巧者も多かった。初代若乃花や輪島などの横綱を育てた花籠親方(元力士・大ノ海)が地元小学校の出身ということもあって、小さい頃から新聞の星取表を欠かさずチェックしていた。当時、土俵の鬼・若乃花、褐色の弾丸・房錦、潜航艇・岩風、起重機・明武谷など味のあるお相撲さんがたくさんいたが、わたしは未完の大器と呼ばれた花籠部屋の若三杉(大豪)がひいきだった。大豪関には失礼だが、必ずしも大スターでない人を応援する志向がすでに当時からあったようだ。
冬になると集団登校の時間を早めて体育館に向かい、床に引かれた円を土俵にみたてて集落対抗戦をするのが日課だった。複数の試合が同時進行で行われるため、始業前の体育館がいつも熱気と喚声につつまれる。1年生同士の取組からはじめて6年生まで勝ち残りで土俵にあがるのだが、どうかすると下級生が3人抜きくらいすることもある。ヒートアップした年などは、近所の空き地に雪を積み上げ、それを踏み固めて本物さながらの土俵を築き、休日も練習に励んだりした。
勝ったり負けたりを6年間も繰り返すわけだから、重心の置き方など自然に工夫するようになる。子どもたちは押し相撲や四つ相撲など、それぞれ自分の相撲の型をもつようになるのだが、どんな型に落ち着くかはそれぞれの体格や敏捷性に規定されていた。私のばあいは四つ相撲に磨きをかけた。
得意技は右下手投げである。できるだけ重心を低くたもち相手の身体を持ちあげるようにして投げをうつ。これでも十分に効果があったが、やがて変則的な二丁投げを体得する。こんな具合だ。まず、右下手から相手の左足をはねあげ、相手が右足一本で重心を支える状態をつくる。そして相手の左足がまだ空中にあるうちに、支え足をもう一度素早くこちらの右足で払うのである。もともと小柄で重心が低かったこともあり、自分より体の大きい上級生にこの技がことに有効だった。5、6年生にかけて体が大きくなると、とうとう敵なしになった。中学校にあがってからまったく相撲をする機会がなくなったが、いまでも大相撲観戦が私の楽しみの一つである。
野球、剣道、柔道、バレーボール、ラグビー、水泳、テニスなど色々なスポーツに親しんだが、私の身体技法の基本をつくったのはなんといってもスキーと相撲である。