日別アーカイブ: 2012/05/08

薬師寺の薬師三尊

これも高校2年生のときの話。週末、秋田市内の下宿から自宅にもどる奥羽線の列車で、数学のT先生と一緒になった。真ん中わけの髪に黒縁メガネ、やせ形の礼儀正しい先生で、言わず語らず数学好きの雰囲気がつたわってくる。

T先生の隣に、小学生くらいのお嬢ちゃんがちょこんと腰掛けていた。親戚の家に遊びにいく娘さんを秋田駅のホームまで見送りに来たものの、いざとなったらやはり心配になり、途中の駅まで一緒に乗ることにしたのだという。授業以外ではじめて会話をかわしたにもかかわらず、なんだか波長があう。そこで、T先生が仏像彫刻に造詣の深いことを知った。

週明け最初の授業がそろそろ終わろうかというころを見はからい、すっと手を挙げて「先生、ぜひ仏像の話をお願いできないでしょうか」と発言した。あわよくば脱線授業を、といういたずら心が働いていたことも否定できない。それを察知した同級生たちも「それはいい!」としきりに私を援護する。「そうですか、あなたがたがそんなにいうなら」というやり取りで授業が終わった。

現在の秋田駅

次の時間、事態は予想外の展開になった。T先生が小さな文字でびっしりと仏像の情報を手書きしたプリントを用意して教室に現れたのだ。しかも、それからの1時間、各時代の様式的特徴と代表的作例について滔滔と語り続け、われわれ生徒を動転させたのである。脱線どころか、数学の時間がそっくり美術史の時間に変わっただけだった。

その年の修学旅行の行き先は関西方面。羽越本線から北陸本線経由で大阪、さらにフェリーを乗り継いで高松、もどって奈良と京都をめぐる大旅行である。カルメンマキの「時には母のない子のように」が旅のテーマソングのようにあちこちで流れていた。旅行でT先生の講義が役立ったことはいうまでもない。

この時に奈良の薬師寺で薬師三尊をみたのが大きな転機になった。いま薬師三尊が安置されている金堂は、あの当時の古さびた建物とはすっかり印象が変わり美々しい建物である。なにしろ40年以上前の話だ。高い敷居をまたいで薄暗い堂内にはいっていくと、ほとんど人気のない空間にろうそくの炎がゆらめき、黒光りする丈六仏がボーっと浮かび上がっている。それをみた瞬間、息をのんだ。

全身の肌を内部から押し上げるように漲るエネルギー、薄暗い空間の背後に広がる底知れない時間の堆積、そうした印象が混然一体となって、かつて経験したことのない心理状態を味わったのである。その後、奈良美術にひかれて足繁く通うことになる原点がこのときの経験だった。

あるきっかけで、奈良美術行脚にでるとわれ知らずテンションがあがるらしいことに気づいた。こんなきっかけだ。大学で東洋美術史を専攻していた妻は、わたし以上の奈良美術ファンである。「美術の会」の奈良研修旅行をずっと楽しみにしていたのだが、どういうわけか旅行の直前になって熱をだした。やむなくひとりで参加といえば聞こえがいいが、病人を残してでかけることになった。

近鉄奈良駅をでて登大路を奈良公園の方向に歩いていたら、ちょうど坂をおりてくる会員のM氏にばったりあった。次の研究会でM氏が、「ルンルン気分で坂をのぼってくる人がいると思ったら渡部さんだった。遠くからでもすぐわかりましたよ」とそのときの印象を語った。

まったく悪気のない人だから確かにそう見えたのだろう。ただ、その場にいた妻の機嫌がみるみる悪くなるのがわかった。