秋田高校で「真夏の夜の夢」を上演する

劇場をでるエリザベス女王

私の生涯の楽しみの一つは、アンサンブルの醍醐味を味わうことである。子どものころに熱中したテレビ番組がミッチ・ミラー合唱団の「ミッチと歌おう」で、男声合唱の魅力に惹かれて秋田高校の合唱部に入ったが、秋校合唱部のリーダーシップは女性陣がとっていた。

2年生のとき、彼女たちが秋の文化祭で「真夏の夜の夢」をオペレッタ形式で上演するといいだした。大ごとである。全校生徒が県民会館で文化部の発表を観るプログラムがあるから、学校祭でオペレッタを上演するということは、とりもなおさず1500人の観客の前で歌いかつ演じることを意味するのだ。

脚本はシェークスピアのものをアレンジし、歌唱部分はイタリア歌曲集に収載されている「はかなきは愛のよろこび」「カロミオベン」などの曲をそのまま使うのだという。いささか唐突な取り合わせだが、そうした簡便なスタイルでなら上演できるのではないか、ということになった。

問題は配役である。恋の駆け引きをするディミトリアスでもライサンダーでもなく、妖精パックの役が私にふられたのだ。パックは舞台回しをになう重要な役柄だが、なにしろ軽快に歌いかつ踊る自分の姿がまったくイメージできないのである。困惑の極みというほかない。ただ、冷静になってみれば、いくら私がロマンティックな気質を内に秘めているとはいえ、小柄で丸顔という容貌からしてあながち見当はずれの配役ともいえない。そう考えて不平を飲みこむことにした。

文化祭の当日、楽屋で演劇部の顧問に生まれてはじめてドーランを塗ってもらうと、舞台の袖の暗がりで出番をまった。床板を踏む白タイツの足元がふわふわ軽くて心もとないが、瞬く間に出番がきてしまったから、「ええい、ままよ。」とばかり明るい舞台に飛び出した。中央に進みでてクルクル回転したあと、そのままソロで歌いはじめる。

ふと気がつくと、驚くほど冷静に観客の反応を観察する自分がいた。いったん腹を括ったせいだろうか。舞台から薄暗がりにいる生徒の顔がはっきりみえるし、「あれ、渡部じゃない?」とひそひそ声で評定する同級生の声も耳にとどいた。

演技の出来ばえは不明だが、そう不評ではなかったようだ。舞台写真も撮らなかったし、タイツ姿を鏡に映してじっくり眺める勇気もなかったから、いまとなっては自分の姿が遠い記憶のかなたに霞んでいる。

その後の人生をみると、このオペレッタ上演と同様、女性陣がリーダーシップを発揮する場所にずっと身を置いてきたことが分かる。獲得研も活発に研究を進める会員の半分が女性だ。児童会・生徒会などほとんどの場所で男子がリーダーシップを発揮する時代だったことを考えるにつけ、文化祭での経験は示唆的なものである。

シェークスピア劇場

昨年の3月、リニューアルしたばかりのロイヤル・シェークスピア劇場で「ロミオとジュリエット」を観た。前日にエリザベス女王が観たのと同じ演目で、主人公たちは「ウェストサイド物語」をおもわせる衣装で舞台を疾走する。

観劇のついでに「真夏の夜の夢」が初演されたという場所を訪ねてみたが、なんの痕跡もみつけられなかった。ただ、40年前に県民会館の舞台の袖で感じた開演直前の気分だけが、まざまざとよみがえってきた。

シェークスピアの住居跡から劇場をみる

コメントは停止中です。