八郎潟東岸の平野部にある生家をでて、高校2年生の秋から秋田市内に下宿した。久保田城のあった矢留山の南側が千秋公園で、復元された御隅櫓などがたつ桜の名所である。同じ山の北側にある住宅地の一角に、まかないつきの下宿があった。千秋北の丸という地名だが、このあたり一帯はもともと佐竹藩の所有地で、県の所有に移管したあと県庁OBの住宅地として分譲された場所だと聞いたことがある。
つれあいを亡くした老婦人が営む下宿は、庭からちょうど目の高さ、手形山方向の高台に、秋田大学鉱山博物館や秋田高校を望む眺めのいい家である。下宿人は、秋大の学生、秋田北高校の女生徒そして私の3人だった。下宿のそばにある長い石段を使って山を下り、奥羽本線の踏切を越えて、北の方角に20分ほど歩くと秋田高校につく。石段から見下ろす正面に、秋田工業高校のグランドがある。後に中日ドラゴンズの監督となる落合博光少年がそこで野球をしていたはずである。
時間の余裕ができたことで読書量も増えていった。人並みに夏目漱石の「こゝろ」や「明暗」なども読んだが、いちばん影響をうけたのはルソーの「告白」(桑原武夫訳、岩波文庫・全3冊)である。2年生の冬、かつて広小路にあった三浦書店で購入したものだ。石油ストーブのかたわらで上巻を繙くと、たちまち文章に魅了されてしまった。
奉公先でリボンを盗んだルソーが、好意をもっていた料理女のマリオンに罪をかぶせたために、なんの落ち度もない少女が仕事を追われるはめになり、その結果、彼が生涯にわたって良心の呵責にさいなまれていた、といったような出来事が赤裸々に語られている。少年時代の庇護者であったヴァランス夫人(ママン)への思慕を熱烈に謳いあげるかと思へば、話題がいつのまにか知性、徳、運命、真理などの哲学的概念のはなしに移っていく、こうした振幅の大きい文章もはじめてふれるものだった。
若山牧水の「みなかみ紀行」を読んでしきりに旅に憧れていたこともあって、ジュネーブを出奔したルソー少年が徒歩旅行をするくだりは楽しかった。「いくら美しいといっても、平坦な地方は、わたしには美しくは見えない。わたしに必要なのは急流、岩石、モミの木、暗い森、山、登りくだりのでこぼこ道、こわくなるような両側の断崖だ。」(上巻、246頁)という記述に続けて、シャイユのあたりにある断崖絶壁を覗き込んでくらくらするめまいを何時間も楽しむエピソードが語られる。高所恐怖症の気のある私はその様子を想像するだけでちょっと息苦しくなった。
中巻、下巻では、ルソーとたくさんの友人たちとの確執が延々と記述されるのだが、短く的確な人物描写のせいで一方の登場人物であるルソーの「敵」たちが作品のなかで実に活き活きと動いている。自らを「不幸な人間」「人を愛しやすい、やさしい人間」と形容するルソーが自分の弱さを率直に開示したかと思うと、すぐそのあとから開き直りにもみえる断定的な自己弁護の叙述が波のように続いてやってくる。
人生を丸ごと読者にさしだす勢いで書かれたこの本を読みながら「彼の友人になるのは難しそうだなあ。」と感じたり、時代の寵児になった途端「自己革命」によって虚飾を離れた生活を企てるルソーに共鳴したりしているうち、いつの間にか「告白」全巻を読み終えていた。
それから10年ほど後に、まさか自分がルソーの生誕地ジュネーブから墓地のあるエルムノンヴィルの村まで、スイス、フランスを1ヶ月かけて歩きまわることになるとは、ましてやその結果として、ルソーの不幸な魂が私の心のうちにすっかり根を下ろしてしまうことになるとは、このときはまだ想像すらできないことだった。
振り返ってみると、今日の研究につながる歩みの第1歩を、この下宿で踏み出していたことになる。