ヨークの散歩道

私の花粉症は、杉のシーズンが終わってからの方が悪化する。根気と思考力が大幅に低下するので厄介だ。

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もう先月のことになるが、英国のヨークで、はじめて城壁沿いの散歩を楽しんだ。

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旧市街を取り囲む城壁が有名な町だが、4年前は、外から眺めるばかり。大学とホテルを往復しただけで終わってしまっていた。

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今回は、ヨーク・ミンスターのぐるりを、かれこれ3度ばかり歩き回った。

天候も時刻も違う散策だったから、同じようなコースを巡っても、それぞれ異なる表情がみえる。

宿が城壁のすぐ内側という利便性も大きい。

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1回目は、池野範男先生のガイドツアー。時雨勝ちの幻想的な風景が広がっていた。

2回目は、地元で社会科の教師をしていたというイアン・デービス教授のツアー。なにしろ情報量が豊富だ。

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そして3回目は、朝の散歩。一人で少し長い距離を歩いてみた。

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壮大な建築空間のもつインパクトは、若いころにカンタベリー大聖堂で受けたものに通じるように思う。

当時はたっぷり時間があったから、日本でチョーサーを読んでからでかけた記憶がある。

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城壁から色んな角度でミンスターがみられるが、周辺の景色や家々の庭がまたなんとも面白い。(どうやってこんな高い塀にのぼったのか)

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リタイアしたら養蜂をやってみたいと思っているせいだろう。お屋敷の庭におかれた巣箱がいたく印象に残った。

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朝の散歩で気づいたのは、この中世からの道が生活道路でもあることだ。なにしろ、通勤路にしている人がたくさんいる。

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要所要所にこうした門があり、門の階段を上ると、城壁の道になっている。

第17回高校生プレゼンフェスタ

昨日、「第17回高校生プレゼンフェスタ」(早川則男委員長)があった。会場は昨年と同様、地下鉄・清澄白河駅にほど近い深川江戸資料館である。テーマの方は、リピーターの生徒のことも考えて、「江戸・東京の暮らし再発見」と変えている。

東京、埼玉の8校から集まった生徒30名が、5つのチームに分かれてプレゼンづくりに挑戦する。ちなみに今年の参加校は、海城高校、所沢北高校、啓明学園高校、日大一高、中村高校、正則高校、目黒学院高校、Kインターナショナルスクールである。

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同じ会場での開催とあって、資料館スタッフの方々との共通理解もあらかじめできているため、流れるようにプログラムが進んでいった印象がある。

(下の写真。両角、小宅チームのウォーミングアップ風景。よく練られたプログラムのせいで、参加者の雰囲気が一気になごむ)

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下の写真は、 総合ガイダンスの途中にはさんだ教員デモンストレーションで、タイトルは「初午の前」。長屋の助け合いの暮らしを描いたスキットを、昨年とは一部キャストを変えて再演している。

昨年も好評だったが、今回も日本教育新聞の佐原記者をして「一気に心をつかまれた」といわしめる熱演ぶりだった。(写真は、林、藤田、吉田、栗原チームの演技)

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総合ガイダンスは、藤牧朗ファミリーが担当。43枚のフリップを用意したKP法によるガイダンスは、もはや「てっぱんプログラム」の域である。

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昨年、展示資料そのものをハンズオン教材としてプレゼンで使わせていただいたのだが、今年はそれが更に進化し、本番の発表では、揚げ物などの食品サンプルが効果的に使われただけでなく、天秤棒をかついだ物売りまで登場するにぎやかなプレゼンになった。

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展示されているモノを手掛かりに使った発表が多かったせいだろうか。例年にくらべて、動き出しの早いチームが多く、その分、時間のマネジメントもうまくいった印象である。

5チームの発表をみると、江戸庶民の環境意識、防災意識、コミュニティのつながりに注目するものが多く、発表技法ということでいえば、クイズ・ショー、ニュース・ショー、スキットなど多彩な形式が使われているのが目立った。


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教師側の新機軸として、ふり返りの時間の運営がある。他チームの発表についてのコメントを、生徒たちがポストイットに書いて壁に貼り出し、それをみんなで共有する手法だ。

これは、ふり返り担当のひとりである小菅望美さんが、藤光由子先生(パリ日本文化会館)のやり方に倣ったもの。パリの発表会に参加して学んできたのだ。

(下の写真は、コメントの木。これに桜色のコメント・シートが一斉に貼り出される。立膝の二人がふり返り担当の次重、小菅ペア)


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パリ行きの成果が早速あらわれた形である。


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今回は、英語、中国語、韓国語のバックグラウンドをもつ生徒も多く、ひときわ多文化的な雰囲気のプレゼンフェスタだった。


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生徒のふり返りの工夫のほかに、新しい動きがもう一つあった。それは、獲得研側のふり返りセッションに、資料館のスタッフの方々も参加してくれたことだ。

ふり返りの時間を両者で共有できたのは、今後の連携をさぐるうえでもとりわけ意義深い動きだといえる。


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プレゼンフェスタの運営をめぐるチームワークの成熟ぶりをみるにつけ、「プレゼンフェスタ方式であかり座地方公演をやる」というプランが、いよいよ現実味を帯びてきた印象である。

第2回全仏高校生日本語プレゼンテーション発表会

獲得研の第121回例会で、早川則男先生(中村高校)、小菅望美先生(高崎市立北部小学校)から、3月3日にパリ日本文化会館であった発表会の参加報告があった。

(下の写真は発表会前日。エトワールにほど近いカフェ。藤光先生宅にも早川さんのホテルにも近く、居心地の良い空間だった。)

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運営にあたった藤光由子先生と連絡を重ねて周到に準備した参加報告である。発表会本番の詳細はもちろんのこと、企画のねらいからコルマール、ボルドー、サン・ジェルマン・アン・レーの各学校で指導にあたった先生たちの所感の内容にいたるまでが網羅された、じつに力のこもった報告だった。

 

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発表会当日の概要を、会館のHPで視聴することができる。

https://www.mcjp.fr/ja/agenda/journee-inter-lycees-dexposes-en-japonais

いつものごとく現地集合・現地解散で行動したのだが、発表会前日には、日本からの3人で、パリ・インターナショナルスクールのIBの授業を参観(石村清則先生)し、ESDを担当しておられる田中瑞穂さんのご案内でユネスコ本部の見学も実現できた。

(下の写真は発表会当日。パリ日本文化会館横の橋上から。エッフェル塔がすぐ近くにある。)

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小菅さんは、藤光先生宅のホームステイも含めて、今回のパリ行きが「今後の人生の転機になる」訪問だったと記しているし、早川さんは、「今後とりくむべき海外のあかり座公演のイメージが具体的になった」訪問だったと総括している。

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お二人の報告に接して、いま国内のあかり座公演のアイデアが色々にでているが、獲得研側の参加者の経験の質ということを考えると、あかり座地方公演と並行して、そろそろ海外公演の企画も具体化していく時期にきているのだなあ、と実感したことだった。

大学院の歓送会

昨日は大学院の歓送会だった。私のゼミでは、麻生賢太郎くんが修論を提出した。タイトルは「パラグアイ共和国における教育問題の現状と課題に関する研究」である。

パラグアイで、青年海外協力隊の指導員として2年間バドミントンの指導に当たったことがテーマ設定のもとになっている。現地社会の経済格差、教育格差の大きさに衝撃を受けたのである。

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帰国後、再度現地にわたり、ひと夏かけて私立ニホンガッコウや公立学校の関係者にインタビューを重ねて修論を書きあげた。

先行研究が少なくて苦労したが、その分、一次資料を駆使した貴重なドキュメントになっている。これからパラグアイひいては南米の教育について知りたい人には、格好の入門書になることだろう。

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ヨネックスに勤めることになった麻生君は、世界を駆けまわってバドミントンの普及につとめる国際派ビジネスマンになるのかなあ、と思っている。

鈴木翔くんと、莫然さんは、修士課程の2年目から仕事が始まってしまった関係で、修論の提出が来年度になった。

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ということは、いま1年生の近藤敦くんたちと併せて、来年度5本の修論が提出されることになる。

卒業論文も10本出る予定だから、4月からの論文指導が、いつの年にも増して忙しくなりそうである。

保立道久氏、齋藤純一氏の講演

いま継続中のプロジェクト「グローバル時代の市民性を問う」(日本国際理解教育学会研究・実践委員会の課題研究)の特徴は、外部の専門家とのコラボレーションを軸に、領域横断的な研究を企図していることだ。

本年度は、歴史学と政治学の専門家を報告者とする2回の公開研究会を開催した。「公共性・市民性と『人種問題』―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」(報告者:保立道久氏 東京大学名誉教授 歴史学)と「多元性のもとでの公共性と市民」(報告者:齋藤純一氏 早稲田大学教授 政治学)である。

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保立道久氏には、ヨーロッパの王権神授説の登場からアメリカ資本主義の成立につながる流れを素材として、差別を肯定する「人種主義イデオロギー」の系譜の特質を分析していただいた。

例えば、WASP(White・Anglo-Saxon・Protestant)イデオロギーに関連して保立氏は、イギリス国王を批判するトマス・ペインが、一方で、イギリス国王の野蛮さは「インディアンにも勝る」、また「インディアン、黒人をけしかけて我々を滅ぼそうとしている」と主張し、ペインが先住民やアフロ・アメリカンへの支配を当然視している点を問題にしている。

さらに、アメリカ連邦憲法の、選挙権をもつ「自由人」(1条2節3)の規定が、ネーティヴ・アメリカンやアフロ・アメリカンを「自由人」ではない存在として明瞭に排除しているという点を指摘し、実質上この憲法が「白人」憲法になっているという。

一方、ソースティン・ヴェブレンに関連して保立氏は、『有閑階級の理論』でヴェブレンが、「長頭ブロンド」(いわゆる北方人種ゲルマンなど)タイプのヨーロッパの男は西洋文化の他の民族要素に比較して、略奪文化に先祖返り(退行)する才能をもっており、アメリカ植民地における彼らの行動はその大規模な事例だと主張していることを紹介している。

保立氏は、このヴェブレンの議論が、該博な人類学的知識にもとづくいわば「人種」論的な経済学というべきものであるとし、さらにWASPを中心としたアメリカの支配層がもっていた「人種意識」が、アメリカ植民野時代から19世紀末期の資本主義の確立の時代まで連続していたこと指摘して、彼の業績がアメリカ資本主義の人種主義的性格を端的に明示したことにあった、と分析している。

そして保立氏は、社会を支える基本となる「労働」に焦点を当てて、次のような指摘をしている。人間が「類的存在」であるという公理を社会に貫くことが公共性であるとすれば、その基礎は労働の尊厳にある。労働の2つの側面であるwork(アソシエーションを通じて社会の分業に関わる)とlabor(コミュニティを通じて身体・家族と環境に関わる)を、環境と歴史の中に感じることができる社会が「公共」の原点となるべきである。

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齋藤純一氏には、公共性、市民、多元性というテーマをめぐり、各々の用語の厳密な定義をもとに、多様なアプローチの仕方があることを示していただいた。

まず、現代における「公共的なるものの範囲」だが、それはきわめて広いものである。空間的にみると、例えばWTOなどグローバルな制度の共有にみられる通り、国境線で閉じたものではない。また時間的にみると、ステイクホルダーとしての将来世代の存在がクローズアップされている通り、現在に閉じたものでもない。

では「公共的価値」とは何か。それは人々が市民として受容しうる価値のことである。多数者の利益とも人々の利益の共通部分とも違うこの公共的価値は時に、私的利益に反するものでもある。

しかし、多元性のもとで公共圏の分極化がすすむ現在の条件下にあって、何が公共的価値であるかについての合意は予め存在していない。この状況下で人々が共有できるのは、「意思形成―決定」の公正な手続きのみである。

そこで熟議を進める「市民の政治的役割」が重要になってくるのだが、その役割は、①間接的な共同立法者として政策課題を提起するauthorship(法・政策の作者)、②問題と思われる法・政策に対して異議を申し立てるeditorship(法・政策の編集者)からなり、この2つの役割は相補的な関係をなしている。

さすがにそれぞれの分野を代表する学者の報告とあって、ここで要約したのは、論点のほんの一部にすぎない。当然のこと、2回とも時間を超過して活発な質疑が行われた。

お二人に提起していただいた視点を、これまでの学会の蓄積とどう接合できるのか、まさに模索が開始されたところである。

箱根美術館の庭

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美術の会の遠足以来、30年ぶりに強羅の箱根美術館を訪問した。六古窯のコレクションで知られる美術館だが、今回の目的は庭園である。

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箱根美術館の庭は、広い敷地のすみずみまで神経が行き届いている。60年もの間、毎日手入れを続けているということだが、時間と労力をかけたらここまで洗練させることができる、というお手本のようなものだ。

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大涌谷の噴煙を見上げる借景、立体感に富む大小の石組み、200本のモミジが林立する苔庭、どれをとってもみごとなものである。

近年公開されるようになったコーナー(石楽園)で、二つ発見があった。

一つは、樹種を絞って庭に統一感をだす技法だ。石楽園の植栽をみると、「馬酔木」と「ヒノキ」がたくさん使われている。松などとは違って、馬酔木やヒノキは、通常庭の主役になる木ではない。あえてそれを多用した斬新なコンセプトの庭になっている。

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あまつさえ、岩にじかに根をおろし、あたかも岩の上に立ち上がったかのような風情の馬酔木があちこちにあり、それが滝組の水流とあいまって、散策する者が深山に迷い込んだかのような印象を与えている。

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もう一つは、ヒノキの若木の使い方である。まず敷地の外周にヒノキの垣根が使われていることに親近感をおぼえたが、それにとどまらず、茶室の通路、庭の真ん中を下る園路、巨岩の足元など、いたるところにヒノキの若木が配されている。

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スーッと伸びたヒノキの枝が、庭に若々しい表情を与えている。なるほどこういう使い方もあるのかと、長年ヒノキ科に属するヒバの高木と格闘してきた私にとっては、まさに目から鱗のデザイン・センスだった。

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晴れた一日とはいっても、さすがに箱根の高地、冬空をみながら散策しているうちに体が芯から冷えてきた。ただ、空気の清涼感に格別の味わいがあって、ああ冬の庭園も悪くないなあ、と思ったことだった。

雪の朝

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4年ぶりの大雪で、わが家のあたりも30センチほど積もった。

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夕方の雪かきの効果が朝には完全に消えていたから、相当な降雪量である。

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一転して今朝は好天。手の届くほど間近にある枝にきて、メジロが熱心にサザンカの蜜をすっている。

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ふだんメジロのほうからこんなに近づいてくることはない。用心深いメジロのこうした姿を楽しめるのが、雪かきの余得ということになる。

1年生のゼミ

DSC00001このブログに、1年生のクラスが登場するのは、おそらく初めてだろう。

ここにアップした写真は、新年最初の授業で、1万2千字の課題論文を提出した直後のものだ。冬休みを挟んで頑張っただけあり、さすがにみんな晴れ晴れした表情をしている。(指文字のWは、渡部ゼミということらしい)

今年のゼミは、前期のティーチング・アシスタントだった近藤敦くん(M1)が、後期もボランティアでクラスに参加してくれた。学生たちに「後期もクラスに来てね」と声をかけられて、意気に感じてしまったのだ。

このエピソードが象徴しているように、今年は例年にもまして和やかな雰囲気のゼミになった。この写真を撮ってくれたのも近藤くんである。

高田屋嘉兵衛の故郷

北前船探訪、今回のテーマは高田屋嘉兵衛(1769~1827)である。司馬遼太郎が、高田屋嘉兵衛は、江戸時代を通じて「2番目が思いつかないくらいにえらい人」だと語っている。それもあって、北前船の歴史を象徴する人物と考えられている。

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今回は、あいにく雨が降ったりやんだりを繰り返す不安定な天気だったが、神戸三ノ宮でレンタカーを借り、嘉兵衛の生地である淡路島の五色町(都志)を目指すことにした。

雨にけぶる明石大橋を渡りきり、淡路島に入ってほどなく、北淡インターチェンジで高速道路を降りる。あとは右手に穏やかな瀬戸内海を眺めながら、海岸沿いの一本道を走る。

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雨が強くなったり弱くなったりしている間に、小さな港をいくつか越え、やがて目的地のウェルネスパーク五色についた。時間にして1時間余り、意想外の近さである。

北前船といえば、これまでこじんまりした資料館ばかり見てきたが、高田屋顕彰館のあるウェルネスパークは、公共の宿、オートキャンプ場、テニスコート、洋ランセンターなどがある体験型総合公園ということで、けた違いに明るく開けたロケーションである。

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資料館の展示も、高田屋の事跡に焦点化している点に特色がある。いま学芸員をしている斉藤智之さんは、もともと関西の大学でフランス語を学び、洋書の輸入販売の会社で仕事をしていた人である。阪神大震災をきっかけに地元にもどってきたのだという。そのせいだろう。文献学の知見を活かして、資料に忠実で客観的な展示にしようとしている姿勢がよく感じられる構成になっている。

その点でいえば、嘉兵衛の、ゴロヴニン事件をめぐるいわゆる民間外交官としての側面、リタイア後の地元での社会事業家としての側面、そして現在まで続くロシアと五色町との交流の詳細が分かったのはとりわけ収穫だった。

(下の写真、神戸海洋博物館のカフェテリアからみるメリケンパーク。)

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(海洋博の北前船関係の展示の中心もやはり高田屋嘉兵衛である。)

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高田屋嘉兵衛と弟・金兵衛の遺体が安置されたという墓所、引退した嘉兵衛の屋敷があった場所などを見て回っているうちに、あっという間に晩秋の日が傾いてきた。それで次の予定を断念し、雨脚の強くなった暗い道を、五色町から津名一宮インター経由で神戸に戻ることにした。

この日の走行距離は144㎞だった。

神戸での再会

眼下に神戸港を見下ろす神戸大学附属中等教育学校には、学会の研究会や教員研修会で何度かお邪魔している。

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今回は、研究会が終わった午後5時に、旧知の斎藤容子さん(ICU高校8期生 旧姓:福田さん)が迎えにきてくれた。容子さんのお嬢さん二人がこの学校の在校生で、しかもちょうどこの日に、長女・寛子さんの大学推薦が決まったというから、これは奇縁というほかない。(左が斎藤さん、中央が吉村さん)

斎藤さんは、私の人生の転機になった『海外帰国生―日本の教育への提案』(太郎次郎社 1990)に、ブローニュ市郊外での教育体験を「フランス語の教育が学校教育の基礎」というタイトルで寄稿してくれた人である。

学校から歩いて急坂をくだり、御影駅からほど近いモダンなお宅で昔話に花を咲かせているところに、関西学院大学での授業を終えた吉村祥子さん(ICU高校7期生)が合流、さらに話題が沸騰した。吉村さんが高校時代にプレゼントしてくれた小石原焼の湯飲みは、いまもわが家の食卓で活躍している。

(下の写真は、学校から斎藤邸に向かう途中の夜景)

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なかでも印象的だったのは、容子さんが、一緒にいった奈良・京都の旅をじつに詳細に記憶してくれていたことだ。ICU高校を卒業する容子さんと冨田麻理さん(西南学院大学)の二人を、私たち夫婦で、ガイドして回った旅のことである。

もう30年も前のことだから、それだけでも驚きなのに、いまは容子さん自身が、フランス人家族旅行者のために、奈良・京都の観光ガイドをしているという。あのときの旅が、こうした形でつながっている、そのことにも感銘を受けた。

近くのレストランで美味しい夕食を頂戴して戻ると、ご亭主の斎藤正寿さん(兵庫大学)も帰宅しておられて、さらに話題が、教育やら建築やらに展開していくからとどまることを知らない。ご夫婦の温かいもてなしのなせる業だろう。気がつけば時刻も12時になっている。

容子さんに会ってから、かれこれ7時間もおしゃべりを続けたことになる。慌ててつぎの再会を約し、吉村さんは西宮方面、私は三ノ宮方面への阪急電車に乗ったのだった。