新宿の雑踏にて

「お前は自分を何様だと思っているんだ」と相手を非難する言い方がある。お前には謙虚さのカケラもない、という訳だ。

夕方、新宿駅の西口地下広場を通ると、毛糸の帽子をかぶったおじさんが「お前は俺を何様だと思ってるんだー」とケータイで怒鳴っている。

ん?おそらくこれは「俺を誰だと思ってるんだ。バカにすんじゃねえ」という意味だろう。まちがっても「俺はそれほどの人間じゃあねえ」と叫んでいるのではなさそうである。

それでも何となく気持ちが伝わってくるところが可笑しい。

冬支度6

(上の写真は西庭方向。苔が徐々に復活してきた)

帰省が遅れてしまったせいで初雪に遭遇し、難渋した。和室のフローリング化と建具の移動をしてもらったこともあり、初日の作業を屋内中心に切り替えることにした。

2日目と3日目の秋田は、気温こそ10度前後と低かったが、好天に恵まれて、思いのほか庭仕事が捗った。

東庭の間伐をほぼ終えて、いまは南庭と西庭の枝打ちにかかっている。とはいえ、南庭は五葉松など松の木が中心の庭である。素人にできることは限られている。

一方、西庭はモミジが中心の庭で、高木が10本ほど横に並んでいる。こちらも余り手をかけないまま、ここまできてしまった。

(上の写真。2007年、父から引き継いで間もないころのもの)

今回、この写真の背景にある築山のヒバを伐採したら、背後のモミジが一本、幹から根元まで、はっきり見えるようになった。

それで、間伐というのは樹木に満遍なく日の光をあてる作業と心得てきたが、庭の骨格を明瞭にする作業でもあるのだ、と改めて気がついた。

初めての仙洞御所

今回一番の収穫は仙洞御所である。何度となく周辺を歩いているが、初めて庭の見学ができた。

塀の内側は、想像していたよりもずっと広々していて、手入れも行き届いている。

現役で使われている宿泊所とあって、年2回あて松の木に鋏をいれているらしい。あとは推して知るべし。

当初つくられた遠州流の庭が、後水尾上皇の好みに合わなかったらしく、結果、大改修されたというエピソードも面白く聞いた。

苔を巧みに使ってゆるやかにカーブする園路とその周囲の広い空間にモミジの高木がゆったり枝を伸ばしている様子などをみていると、なるほど、どこからどこまで品の良い庭だなあ、と感じたことだった。

 

修士論文の中間報告会

修士論文、卒業論文の執筆が佳境に入っている。今年のメンバーは、修論ゼミが4人、卒論ゼミが10人の合計14人である。

昨日、修論の中間報告会があり、鈴木くんは校務で欠席だったが、近藤くん、李くん、楊さんの3人が報告した。

その後、院ゼミの1、2年生と下高井戸のカナピナで恒例の夕食会をしたのだが、写真をみると、3人とも一様にホッとした表情である。

中間報告会は、傍聴した1年生のメンバーにとっても、来年のイメージ作りの場として刺激的だったようだ。

修学院離宮の植栽

久しぶりの修学院離宮だが、今回も空間の扱い方にいたく感心した。

(下の写真:上離宮の隣雲亭から浴龍池をみる)

これほどたくさんの植栽があるのに、少しも重苦しい感じがない。

(下の写真:土橋付近から池越しに大刈込方向をみる)

下離宮、中離宮、上離宮の庭を、どの角度からみても清々する雰囲気なのだ。

庭の印象が重くならないのは、広さのせいばかりではなく、手入れの仕方によるところが大きい。

根〆のようなサツキからモミジの高木のようなものまで、枝の透かし方が絶妙なのだ。

たまたま”透かす”を意識して庭木の手入れをしている最中なので、学ぶことがことさら多かった。

(下の写真:西浜からみあげる隣雲亭。台風の影響で用水路が破損、池の水がひどく減ってしまっている。山中には風で倒れた巨木がいまも横たわっている。)


3キロメートルにおよぶ見学路は、延々と続く斜面と階段である。夏には脱水症で倒れる人もいるらしい。こんなにハードな見学路だったかなあ、と若いころには気づかないような感懐もあった。

新宿御苑の空

新宿経由で通勤しているので、いこうと思えば簡単にいけるのだが、あまり訪ねる機会がないのが新宿御苑だ。

先日、思い立って新宿御苑に足を踏み入れてみた。大木戸門から入場して、風景式庭園、整形式庭園、日本庭園を順番に回り、新宿門からでるコースである。

久しぶりの訪問でまず驚いたのは、以前とくらべて、外国人観光客の姿が圧倒的に多いことだ。平日の午後ということもあるだろうが、ひょっとしたら来場者の数は日本人を上回っているかもしれない。

最近はどこの庭を訪ねても、植栽の手入れのことが気になる。

大木戸門の近くにある下の写真の伽羅木は、一見すると複数の株からできているようにみえる。

しかし、裏側に回ってみると一つの株から分かれてできた姿だとわかる。

ちょうど秋田の庭の古いキャラボクの仕立て方に迷っていたこともあって、ああこういうやり方もあるのか、と参考になった。

一方、整形式庭園の方にいってみると、ちょうど大刈込の整枝作業の最中だった。


作業の進み具合を見ていると、時間がたってもちっとも飽きるということがない。この大量の枝をどこでどう処理するのだろう、ということまで考えてしまうからだ。

(下の写真は、旧御涼亭からの眺め)


今回は、上の池から東の方向をみた景色がとりわけ印象に残った。(下の写真)

背景に建物の姿がなく、何しろ空が大きいのだ。もし都心に新宿御苑がなかったらと考えると、この空間の貴重さがいまさらながらに感じられる。


秋田の屋敷の管理

9月中旬の4日間、秋田に帰省した。秋田から戻るのと同時にPCがダウン、復旧するまでのほぼ1か月間、まるで仕事ができなくなって難渋した。

(上の写真。この景色で「秋田に戻った」という気分になる。)

帰省にあわせて、和室の一つをフローリング化する工事をしてもらった。ちょっとした思いつきで始めたプランだが、これが思いがけない効果を発揮し、古い家がそれなりにモダンな雰囲気になるので面白い。

あわせて立木の伐採計画を前に進めることにした。前回の調査で、屋敷内に都合200本の高木があることが分かっている。

これを徐々に間引いていくのだが、まずはこの秋、外周道路に面した15~20本ばかりの高木を選んで伐採してもらうことにした。クレーン車を使って3日がかりの作業になるらしい。

(上の写真は、伐採予定の木に目印をつけているところ)

さあ、どのくらい景色が変わるものなのか、こちらも楽しみである。

長(武田)清子先生を偲ぶ会

恩師の長清子先生が、4月10日に100歳で亡くなられ、9月8日にICU食堂で「偲ぶ会」があった。思想史研究会がしばらく休会している間のことだったから、いまひとつ実感がもてずにいたのだが、この会に参加して、しみじみ「ああ、亡くなられたんだなあ」という感懐にとらわれた。

とりわけ12年間にわたって長先生の助手をつとめあげ、思想史研究会でもオピニオンリーダー的な存在の小沢浩さん(4期生、元富山大学長)のスピーチは、長先生の厳しく、温かくかつリベラルな人柄を活写すると同時に、先生の戦中戦後から現在に至る学問研究の歩みを歴史的に位置づけようとする試みで、なんとも見事なものだった。

偲ぶ会は、桑ケ谷森男さん(1期生、元ICU高校長)たち、最初期の卒業生が運営の中心を担ったもので、200人を超す参会者があった。
80代になった先輩たちのすこぶる元気な様子にふれていると、これもまたいかにもICUらしい雰囲気だなあ、と感じたことだった。同じテーブルにいた梅津順一さん(14期生、前青山学院院長)や保立道久さん(15期生、東京大学名誉教授)が若い層に見えてくるから不思議である。

長先生は、18期生の私がかれこれ45年師事した先生である。

(下の写真。学部の卒業式で)

とりわけ最晩年の10年ほど、思想史研究会で指導を受けた経験がいよいよ貴重なものに感じられる。90代にしてなお学問研究の炎を燃やし続ける方のそばにいられたからだ。

小沢さんのスピーチにもあったが、せめても長先生に満足してもらえるような仕事を一つは残さないとなあ、と考えたことだった。

新潟の町屋の庭―旧小澤家住宅

これも少し前のことになるが、新潟市内の庭園をみてまわった。

北前船の関係では、明治の初めから回船経営にのりだしたという旧小澤家住宅が印象に残った。

旧小澤家住宅は、新潟市内を代表する町屋建築である。主屋は1880年(明治13)の大火の直後の建設、この写真の新座敷と庭は1909年(明治42)ころのものだという。

500坪弱の敷地に延べ床面積260坪ほどの建物(母屋や土蔵など)がたっている。

とりわけ印象に残ったのは、サイズ感のほどの良さである。庭と建物のバランスも私の感覚にはピッタリきた。

いま手もとに資料がないので、定かではないが、クロマツの植栽を主にした平庭で、ざっと20本ばかりの松が植わっていたように思う。

庭の面積に比して松の本数が多い印象だが、小ぶりの良く手入れされた松が多いので、邪魔にはならない。

紀州石、御影石、佐渡赤玉石など、北前船で運ばれてきたという庭石があちこちに置かれているが、こちらの方もウルサイほどの数ではない。全体にほどが良いのである。

京都の町屋でいえば石泉院町(平安神宮の南)にある並河靖之七宝記念館の庭など、きわめて洗練されたサイズ感をもつ庭が思い浮かぶ。

ただ、この旧小澤家住宅の庭についていえば、洗練さのなかに新潟の地域性というものも感じられて、別種の趣のあるものだった。

妻有アート・トリエンナーレ2018

今夏は、金足農業が甲子園で大活躍した。テレビのインタビューなどにも物おじせず、実にハキハキとこたえている。キラキラネームの球児たちを通して秋田を再発見する、そんな不思議な体験だった。

先週のことだが、現代アートが好きなワイフにうながされて、「妻有アート・トリエンナーレ2018」にいってみた。

(以下の写真は、十日町の旧真田小学校)

東京23区よりも広い地域にアート作品が散らばっていて、実に面白かった。

あちこち訪ね歩くうちに、訪問者がいやおうなく地域の暮らしに思いをはせる仕掛けになっている。

新潟県南魚沼郡といえばやはり鈴木牧之の『北越雪譜』のイメージが強い。今回は妻有の6つの地区のうち十日町、津南、松之山の3つをみて歩いた。

はじめて訪れる場所で予備知識がないぶん、新発見も多い。

とりわけ廃校を活用した「絵本と木の実の美術館」(十日町の旧真田小学校)で長い時間を過ごした。

田島征三さんの作品世界が、校舎の壁を突き抜けて野外にまでひろがっている。

アーサー・ビナードさんとの「まむし」の合作もウィットに富んで秀逸である。

今回は、爽やかな風が吹く季節の訪問である。ただ、コンクリートで1階分かさ上げした3階建ての家々、深い河岸段丘とそれを囲む山々の景色をみながら、数々のトンネルを車で走り抜けるうち、冬場の暮らしの厳しさも自然に感得させられた。

(下の写真は、清津峡渓谷トンネル)

所沢に戻ってみたら、意外に車を走らせている。2日間の走行距離が480キロになっていた。