新宿御苑の空

新宿経由で通勤しているので、いこうと思えば簡単にいけるのだが、あまり訪ねる機会がないのが新宿御苑だ。

先日、思い立って新宿御苑に足を踏み入れてみた。大木戸門から入場して、風景式庭園、整形式庭園、日本庭園を順番に回り、新宿門からでるコースである。

久しぶりの訪問でまず驚いたのは、以前とくらべて、外国人観光客の姿が圧倒的に多いことだ。平日の午後ということもあるだろうが、ひょっとしたら来場者の数は日本人を上回っているかもしれない。

最近はどこの庭を訪ねても、植栽の手入れのことが気になる。

大木戸門の近くにある下の写真の伽羅木は、一見すると複数の株からできているようにみえる。

しかし、裏側に回ってみると一つの株から分かれてできた姿だとわかる。

ちょうど秋田の庭の古いキャラボクの仕立て方に迷っていたこともあって、ああこういうやり方もあるのか、と参考になった。

一方、整形式庭園の方にいってみると、ちょうど大刈込の整枝作業の最中だった。


作業の進み具合を見ていると、時間がたってもちっとも飽きるということがない。この大量の枝をどこでどう処理するのだろう、ということまで考えてしまうからだ。

(下の写真は、旧御涼亭からの眺め)


今回は、上の池から東の方向をみた景色がとりわけ印象に残った。(下の写真)

背景に建物の姿がなく、何しろ空が大きいのである。もし都心に新宿御苑がなかったらと考えると、この空間の貴重さがいまさらながらに感じられる。


秋田の屋敷の管理

9月中旬の4日間、秋田に帰省した。秋田から戻るのと同時にPCがダウン、復旧するまでのほぼ1か月間、まるで仕事ができなくなって難渋した。

(上の写真。この景色で「秋田に戻った」という気分になる。)

帰省にあわせて、和室の一つをフローリング化する工事をしてもらった。ちょっとした思いつきで始めたプランだが、これが思いがけない効果を発揮し、古い家がそれなりにモダンな雰囲気になるので面白い。

あわせて立木の伐採計画を前に進めることにした。前回の調査で、屋敷内に都合200本の高木があることが分かっている。

これを徐々に間引いていくのだが、まずはこの秋、外周道路に面した15~20本ばかりの高木を選んで伐採してもらうことにした。クレーン車を使って3日がかりの作業になるらしい。

(上の写真は、伐採予定の木に目印をつけているところ)

さあ、どのくらい景色が変わるものなのか、こちらも楽しみである。

長(武田)清子先生を偲ぶ会

恩師の長清子先生が、4月10日に100歳で亡くなられ、9月8日にICU食堂で「偲ぶ会」があった。思想史研究会がしばらく休会している間のことだったから、いまひとつ実感がもてずにいたのだが、この会に参加して、しみじみ「ああ、亡くなられたんだなあ」という感懐にとらわれた。

とりわけ12年間にわたって長先生の助手をつとめあげ、思想史研究会でもオピニオンリーダー的な存在の小沢浩さん(4期生、元富山大学長)のスピーチは、長先生の厳しく、温かくかつリベラルな人柄を活写すると同時に、先生の戦中戦後から現在に至る学問研究の歩みを歴史的に位置づけようとする試みで、なんとも見事なものだった。

偲ぶ会は、桑ケ谷森男さん(1期生、元ICU高校長)たち、最初期の卒業生が運営の中心を担ったもので、200人を超す参会者があった。
80代になった先輩たちのすこぶる元気な様子にふれていると、これもまたいかにもICUらしい雰囲気だなあ、と感じたことだった。同じテーブルにいた梅津順一さん(14期生、前青山学院院長)や保立道久さん(15期生、東京大学名誉教授)が若い層に見えてくるから不思議である。

長先生は、18期生の私がかれこれ45年師事した先生である。

(下の写真。学部の卒業式で)

とりわけ最晩年の10年ほど、思想史研究会で指導を受けた経験がいよいよ貴重なものに感じられる。90代にしてなお学問研究の炎を燃やし続ける方のそばにいられたからだ。

小沢さんのスピーチにもあったが、せめても長先生に満足してもらえるような仕事を一つは残さないとなあ、と考えたことだった。

新潟の町屋の庭―旧小澤家住宅

これも少し前のことになるが、新潟市内の庭園をみてまわった。

北前船の関係では、明治の初めから回船経営にのりだしたという旧小澤家住宅が印象に残った。

旧小澤家住宅は、新潟市内を代表する町屋建築である。主屋は1880年(明治13)の大火の直後の建設、この写真の新座敷と庭は1909年(明治42)ころのものだという。

500坪弱の敷地に延べ床面積260坪ほどの建物(母屋や土蔵など)がたっている。

とりわけ印象に残ったのは、サイズ感のほどの良さである。庭と建物のバランスも私の感覚にはピッタリきた。

いま手もとに資料がないので、定かではないが、クロマツの植栽を主にした平庭で、ざっと20本ばかりの松が植わっていたように思う。

庭の面積に比して松の本数が多い印象だが、小ぶりの良く手入れされた松が多いので、邪魔にはならない。

紀州石、御影石、佐渡赤玉石など、北前船で運ばれてきたという庭石があちこちに置かれているが、こちらの方もウルサイほどの数ではない。全体にほどが良いのである。

京都の町屋でいえば石泉院町(平安神宮の南)にある並河靖之七宝記念館の庭など、きわめて洗練されたサイズ感をもつ庭が思い浮かぶ。

ただ、この旧小澤家住宅の庭についていえば、洗練さのなかに新潟の地域性というものも感じられて、別種の趣のあるものだった。

妻有アート・トリエンナーレ2018

今夏は、金足農業が甲子園で大活躍した。テレビのインタビューなどにも物おじせず、実にハキハキとこたえている。キラキラネームの球児たちを通して秋田を再発見する、そんな不思議な体験だった。

先週のことだが、現代アートが好きなワイフにうながされて、「妻有アート・トリエンナーレ2018」にいってみた。

(以下の写真は、十日町の旧真田小学校)

東京23区よりも広い地域にアート作品が散らばっていて、実に面白かった。

あちこち訪ね歩くうちに、訪問者がいやおうなく地域の暮らしに思いをはせる仕掛けになっている。

新潟県南魚沼郡といえばやはり鈴木牧之の『北越雪譜』のイメージが強い。今回は妻有の6つの地区のうち十日町、津南、松之山の3つをみて歩いた。

はじめて訪れる場所で予備知識がないぶん、新発見も多い。

とりわけ廃校を活用した「絵本と木の実の美術館」(十日町の旧真田小学校)で長い時間を過ごした。

田島征三さんの作品世界が、校舎の壁を突き抜けて野外にまでひろがっている。

アーサー・ビナードさんとの「まむし」の合作もウィットに富んで秀逸である。

今回は、爽やかな風が吹く季節の訪問である。ただ、コンクリートで1階分かさ上げした3階建ての家々、深い河岸段丘とそれを囲む山々の景色をみながら、数々のトンネルを車で走り抜けるうち、冬場の暮らしの厳しさも自然に感得させられた。

(下の写真は、清津峡渓谷トンネル)

所沢に戻ってみたら、意外に車を走らせている。2日間の走行距離が480キロになっていた。

3度目の津山

岡山県内の商業高校の研修会「平成30年度 マーケティング分野生徒対象研修会」(委員長:歳森隆夫・笠岡商業校長)が、8月2日、3日に津山商業高校であった。たった半日で「取材―プラン作り―発表」というプロジェクト学習の全プロセスを生徒が体験する、文字通り“半即興型プレゼンづくり”のプログラムである。

今回も、現地ではじめて出会った生徒たちが、その場でチームを組んで伝統的建造物群保存地区に指定されている城下町を取材して歩き、インタビューなどの結果を素材にして観光ビジネスプランづくりに挑戦した。

(下の写真。今年の滞在も「割烹 宇ら島」。津山商業・片岡先生ご推薦の宿ということで初年度からお世話になっている。地元食材を活かした美味しい料理と若女将・中村未和さんの細やかな気配りが光る。)

豪雨災害を経験した後で、しかも鉄道の不通箇所がまだ残っている状態での開催である。もともとの参加校が多くなかったうえに、直前のキャンセルも続いたらしい。そんなこんなで、例年より参加者が少ない分、より実験的な色合いの濃いプログラムになった。

その1つは、2日間を通して、各校混成チームで活動したことだ。初日の発表をさらにブラッシュアップし、2日目により完成度の高い発表を目指す2段階の方式である。

例年は、初日に混成チームで活動し、2日目は各学校が自分の地域の観光プランを発表していた。秋のコンテストに向けた準備が、もうこの研修会から始まっていたことになる。

2つ目が、生徒チームの活動と並行して、引率教師チームもプレゼンづくりに挑戦したことだ。先生たちの発表は、さすがに手慣れていて安定感が抜群だったから、その自然な語り口が生徒チームのよいお手本になった。

ただ、意外な弱点も露呈した。手慣れている分、ついつい説明が長くなってしまい、発表時間の大幅超過につながったのだ。

3つ目が、昨年までこの研修会の委員長だった槇野滋子先生(岡山大学教授)が、今回は、私とのコンビでファシリテーター役をしてくださったことだ。どちらかというと見守る側だった槇野先生が、直接進行に加わることで、新しく見えてきたこともたくさんあったらしい。

私の場合も、毎回新しい気づきがあるが、今回とくに印象深かったのは、複数年にまたがって運営に携わってくれた先生たちの口から、この研修会での経験を学校に持ち帰って、自分独自の実践につなげてみたい、という意欲が語られたことに関連している。

半即興プレゼンをつくるというプロジェクト学習の研修は、生徒だけでなく、先生たちにとっても新しいタイプの研修である。

それだけに、単発の企画として実施するだけでなく、同じコンセプトの研修会を継続実施することで、企画・引率する教師の側にもこうした学習の意義と指導方法がより深いレベルで伝わる可能性がある、そのことを実感したのである。

研修会を終えたら、津山駅でJRの列車に乗りこみ鳥取空港経由で帰京する、そんな予定にしていたのだが、当日になっても津山―智頭間の路線は復旧せず、申し訳ないことに、智頭まで自動車で送ってもらう仕儀になった。

おかげで、思いがけずゆったりした山越えドライブを楽しむことができたのだが。

第13回夏のセミナー終了

台風13号の接近で開催が少し危ぶまれた時もあったが、今年もほぼ100人規模のセミナーが実現した。

本格的なふり返りの作業はこれからだが、私の印象としては、朝一番の「全体会」と最後のプログラムである「終わりのつどい」の充実ぶりが、今回の成功を象徴していたように思う。

初発に国際会議場であった「全体会」。藤光由子氏(パリ日本文化会館・日本語教育アドバイザー)の報告「第2回全仏高校生日本語プレゼンテーション発表会」は、構成といい資料の豊富さといい語り口といい、じつに見事なものだった。

(下の写真はウォーミングアップ担当の両角桂子氏)

最近こんなに内容の濃い事例発表に出会った記憶がない。その理由は、おそらく藤光先生が獲得型教育のエッセンスを完全に自分のものにしたうえで、その理論を創造的に応用していることからきている。

(下の写真が藤光氏の報告風景)

藤光報告だけでも聞きたい、といって参加された日大大学院の保坂敏子教授やNHKディレクターの草谷緑さんが、大満足で帰られたことにそれが良く示されている。

例年通り、今回も8本のワークショップ(午前4本・午後4本)があったが、ほとんどのセッションで、新しいテーマにチャレンジしたせいだろう、参加者の方々の様子も、その挑戦に呼応するかのように生き生きとしてみえた。

(下の写真はワークショップ中の1コマ)

「終わりのつどい」の方も盛況で、学事出版編集部の戸田幸子さんをして、こんなにたくさんの人が、こんなになごやかな雰囲気を醸しだしている会にでたことがない、と言わしめるものだった

(下の写真は、吉田・武田チームのワークショップ)

「終わりのつどい」でみせる宮崎充治氏(弘前大学)の伸びやかな司会ぶりも、もはやテッパンの域である。

これから各ワークショップのふり返りやアンケートの分析がまとまり、8月中に開かれる運営委員会、9月定例会での検討をへて、今回のセミナーの全体像がようやく見えてくることになる。

ただ、嬉しいことに、現時点でも、国内・国外から参加した方々の満足度がとても高かったという手ごたえがある。

(下の写真は、ヨーロッパ各国と台湾から参加された先生たち)

 

さすがに13回目ともなると、初海茂事務局長の調整のもとで、プログラムの進行も流れるようにスムーズだった。

このことから、セミナーを運営する獲得研側のチームワークも、いよいよ成熟の域に達してきたことが分かる。

パリ研修会の深化

国際交流基金「欧州日本語教師研修会」の講師は、昨年に続いて2回目になる。本年度の研修会も、7月4日と5日の2日間、エッフェル塔からほど近いパリ日本文化会館の最上階にあるホールで行われた。

今年のテーマは「学びの全身化×教育プレゼンテーション」である。昨年同様、両日とも6時間分のセッションが組まれている。事前に参加者自身の実践をまとめて提出したり、私が書いた論文(5本)を読んで、各々について質問したいことや意見・感想を提出したりする課題をこなすので、参加者の方々にとっては、相当にハードなプログラムである。

今回参加して、企画者である藤光由子先生(日本語教育アドバイザー 写真右 写真左は日本語事業部次長の申熙晶さん)の運営プランがどんどん深化していることを実感した。大きくは3つある。

第1は、参加者の多様性だ。具体的には、フランス、イタリア、スイス、スペイン、英国という参加地域の多様性、昨年、一昨年の参加者も複数含まれているという参加経験の多様性、そしてフランス人の大学院生から大学教師としての経験が30年を超すベテランまでいるというキャリアの多様性である。

第2は、パリ会場での参加(16名)とオンライン上の参加(14名)という2重構造のプログラムになっていることだ。パリの会場と、フランス各地、イタリア、オランダ、スイス、ドイツ、ハンガリー、日本を同時中継でつなぎ、ネット上の参加者も議論に参加したり、プレゼンをつくって発表したりする。

第3は、私のセッション(講義+ワークショップ)と昨年の参加者だったベルリン日独センターの植原久美子先生のセッション(実践報告+ワークショップ)が入れ子構造になっていることだ。

植原先生は、初日の「日本語教師のライフコース研究」のリソースパーソン役にはじまり、2日目の実践報告にいたるまで、まさに獅子奮迅の働きをしてくださった。

ちなみに、私のセッションは、獲得型教育のなかの学習論、アクティビティ論、教師論に焦点を当てたものである。(下の写真:赤いビルが滞在したホテル 旧JALホテル)

ともあれ、この3点をあげただけで、どんなに複雑な構造をもつ研修会なのか分かる。冒頭の挨拶で「多少の混乱・混沌はあるだろうが、それも含めて楽しんでみましょう」といったのだが、案に相違して、プログラム自体は思いのほかスムーズに進んだ。

大勢のスタッフの方々、参加者の方々の全面的協力があってのことなのだが・・・。(下の写真:ホテルからパリ文化会館へは徒歩10分)

なんといっても難しいのはタイム・マネジメントである。ただ、メルボルンの国際研修会から数えて藤光先生とは3回目のコンビになる。そこで、いまこの瞬間にお互いがどう動くべきか、プログラムのどこを削ってどこを入れるべきか、阿吽の呼吸で判断できるようになってきたのがなんといっても大きい。(下の写真:パリで朝焼けをみるのは珍しいので1枚 29階の部屋から)

研修成果の定着という点についていうと、すでに昨年の研修参加者を中心として、お互いの実践を交流するネット空間がつくられていて、リアルタイムで報告を聴きあう会合が持たれたり、実践報告原稿がアップされたりしている。

獲得型教育の実践が、こうして軽々と国境を越えて広がっていく様子を目の当たりにするのは、何より心強いことである。(下の写真は植原先生)

昨年もそうだったが、今年も欧州研修会の複数の参加者の方が、一時帰国のタイミングに合わせて、「第13回獲得研夏のセミナー」(8月7日)に申し込んでこられている。ぜひ獲得研のメンバーともネットワークを築いていただけたらと願っている。

今回のような、複雑な構造をもつ研修会の場合、ふり返りの作業ひとつにも大変な労力がいる。スタッフの方々はさぞ大変なことだろう。

私自身も今回の成果と課題について、さらにじっくり考えてみたいと思っている。

院ゼミで東博へ

今年の大学院ゼミの新入生は、全員が中国からの留学生。そこで、例年夏にやっていた2泊3日の研修旅行を、都内散歩に切り替えることにした。

その第1弾が、東京国立博物館の見学だ。本館の常設展を、1階、2階にわけてじっくり見る。仏像彫刻、漆工、金工、刀剣、陶磁器、絵画・・・。

順番に見どころの手ほどきをしていくと、それだけでタップリ半日かかる。どの部屋の陳列品にも興味を示してくれるので、こちらもついつい話しすぎてしまうからだ。

昼食も館内のレストランでとったが、せっかくだから、上野の山をおり「みはし」で江戸の風情も味わってもらうことにした。

京都・奈良に留学生を案内したことは何度かあるが、考えてみると、東京案内というのは、今回が初めてだ。

次のゼミの時に、それぞれどれをお気に入りの作品に選んだのか、きいてみようと思っている。

これを機会に、彼らのものの見方が少しは広がるのか、あるいは変わらないのか、ちょっと楽しみではある。

スターン先生とシーボルト

かつて鳴滝塾があった場所にできたシーボルト記念館(長崎市)で、いつかみたいと思っていた丸善版の「シーボルト旧蔵『日本植物図譜』コレクション」をようやく閲覧できた。

発端は、1995年の晩夏、ロンドンの植物園キュー・ガーデンでの出来事である。ここで、執筆者の一人であるウィリアム・スターン博士と出会ったのだ。

当時バード・ウォッチングに凝っていた私は、どこへ行くにも双眼鏡を携行するのが習慣だった。その日も、ロックガーデンのなかの通路で双眼鏡を覗いていたのだが、ふと気づくと、背後に初老の男性が立っている。

通ろうと思えば通れる広さはあるのだが、くだんの男性は、私の邪魔をしたくないと思ったらしい。長いコートに布の帽子、肩から斜めにカバンをかけた穏やかな印象の人である。

軽く会釈してすれ違おうとしたら、その紳士がむこうから話しかけてきた。レディング大学のスターン教授と名乗るその人物は、私に、日本からきたのか、この植物園には良くくるのかといった質問をしてから、ところであなたはシーボルトをご存知か、と聞く。

意外な話の展開に少し驚いたが、もちろん日本でも有名な歴史上の人物ですよと答えると、実は、自分も日本にいったことがあり、丸善という出版社からシーボルト関連の本をだしたのだ、といった。

私の姿をみて、日本が懐かしくなったのだろうか。しばらく立ち話を続けてから、「じゃあ、日本に戻ったらあなたの本をみてみますね」と約束し、一緒に記念写真を撮って別れた。

新学期がはじまって、ICU高校の生物の教師にくだんのエピソードを話し、スターン先生を知っているか尋ねたところ、スターンさんは、ラテン語植物分類学の世界的権威だからもちろん知っているという。翌日、来日の折にした学術対談の雑誌コピーも持ってきてくれた。

スターンさんの仕事ぶりを知るには、本の実物を見るに如くはない。ところが日本橋丸善の棚のどこをさがしても本が見つからない。さんざん歩き回って、ふと近くの柱をみたら、『日本植物図譜』の広告ポスターが貼ってあり、本の価格が98万円となっている。なるほど探してもみつからないわけだ。これは学術資料であって、店頭に並べて売る本ではない。

それから実物をみる機会のないまま月日が経った。今回の訪問にあたって、シーボルト記念館ならきっとくだんの本が展示されているに違いないと踏んでいたのだが、やはりここでも見つからない。

そこで閲覧を申し込んでみることにした。当方の申し出を聞いた窓口の男性が、一瞬ひるんだ後、「あるにはあるんですが、なにしろ下の収蔵庫から取り出さないといけないので」とあきらかに逡巡の体である。

係りの人がなぜ逡巡するのか、その理由が間もなく分かった。しばらく待っていると、台車にのせられた大きな箱が2つ、エレベーターから出てきたのだ。

箱のなかにはB3版クロス装丁の立派な本が併せて4冊入っている。さて、合計したらいったい何キログラムになるのだろうか。まず箱ごと台車から机に移し、それから本をとり出すのだが、たったそれだけのことに相当な腕力がいる。油断したら腰痛を発症するだろう。とにかく大きくて重いのだ。

第1巻を開けてみると、巻頭言の形でスターン先生が、シーボルトの生涯を英語で紹介している。中身は、川原慶賀らの筆になる『日本植物図譜』の精密なコピーである。当時としては最先端の印刷技術を駆使したものに違いない。

「日本に戻ったらあなたの本をみてみますね」とスターン先生に約束してから、かれこれ23年経ったことになる。

今回の長崎訪問で、ようやく約束を果たしたという安堵感だけは残った。